【電子号外】三笠宮さま逝去

 昭和天皇の末弟で、天皇陛下の叔父に当たる三笠宮さまが27日午前8時34分、入院先の東京都中央区の聖路加国際病院で亡くなられた。名前は崇仁(たかひと)。明治以降の皇族では最長寿の100歳だった。葬儀の日取り、場所などを宮内庁が検討する。

 三笠宮さまは5月16日、急性肺炎で聖路加国際病院に入院。症状は治まったが、高齢に伴う心臓の働きに低下がみられ、入院を続けていた。宮内庁関係者によると、容体が急変したという。

 戦時中に軍人として中国・南京に赴任した体験などから、戦後は平和の大切さを一貫して訴えたほか、オリエント史の研究者としても国内外で広く知られた。

 皇位継承順位は5位。三笠宮さまの死去で、天皇と皇族からなる皇室は19人に、皇位継承資格者は4人に減った。

 1915(大正4)年12月2日、大正天皇の四男として誕生。元貴族院議員高木正得(たかぎ・まさなり)子爵の次女百合子(ゆりこ)さま(93)と41年10月に結婚し、3男2女に恵まれた。2002年に三男高円宮、12年に長男寛仁親王、14年に次男桂宮が亡くなり、息子に全て先立たれた。

 三笠宮さまは心臓の弁が完全に閉じずに血液が逆流する僧帽弁閉鎖不全の持病があり、12年には弁の機能を回復する心臓手術を受けた。近年は車いすを使い、住まいの宮邸がある東京・元赤坂の赤坂御用地内を妻百合子さまと散策するなどして静かに暮らしていた。

 現在の皇族で唯一、軍務経験があり、太平洋戦争中は大本営陸軍参謀などを歴任した。戦中から、満州事変での現地軍の独走など、軍の在り方を批判。戦後には、自身の体験を著書などで明かし、戦争の悲惨さを繰り返し訴えた。

 戦後は、東大文学部の研究生となり、古代オリエント史の研究を続けた。東京女子大や東京芸術大などで教壇に立ち、ラジオやテレビの教養番組にも出演し「学者の宮さま」「学者殿下」と親しまれた。

 その一方で、50年代には紀元節(建国記念の日)復活に強く反対。皇室を取り巻く環境について、自ら「菊のカーテン」や「格子なき牢獄」といった言葉を使って閉鎖性を表現するなど、異色の皇族だった。


【電子号外】三笠宮さま逝去(10月27日)

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