第51回衆院選も終盤戦。栃木県内の5小選挙区には過去最多の計20人が立候補したが、県内ではその10倍以上が出馬した村長選があったのをご存じだろうか。1960年、200人超が立候補した栃木県桑絹村(現在の小山市)の村長選だ。過去最多56人が出馬した2024年東京都知事選の際に引き合いに出されるなど、60年以上が経過した今も「候補者乱立」の代名詞となっている“伝説”の選挙。なぜ大量立候補が起きたのか-。当時の経緯に詳しい地元住民を取材した。

立候補者の名前で埋め尽くされた1960年4月23日の下野新聞朝刊
立候補者の名前で埋め尽くされた1960年4月23日の下野新聞朝刊

■「結城に行きたい」村

 話を聞いたのは小山市高椅(たかはし)の高椅神社責任総代の塚原一男(つかはらかずお)代表(79)。小山市議を3期務め、市議会副議長などを務めた経歴もある。

桑絹村の分村合併運動について語る塚原一男さん
桑絹村の分村合併運動について語る塚原一男さん

 そもそも桑絹村は村長選の4年前、1956年に「桑村」と「絹村」が合併して生まれた。

 ただ、合併に対し絹村の意見は割れていた。