太平洋戦争後期に広島県・江田島の海軍兵学校に進み、特攻作戦で死を覚悟しながらも在学中に終戦を迎えた男性の日記が残されていたことが13日、分かった。初期は軍への不満を訴えていたのに対し、終戦間際には特攻への覚悟をつづった。識者は「軍隊に反抗心を持っていた文学青年が変化していく背景を伝えている。価値ある内容だ」と評している。
東京都出身で戦後に長崎市で医師を務めた男性が1944~45年、「手記自爆まで」と題し約200ページにしたためた。62年に事故のため37歳で亡くなり、日記は家族が長年保管。2年前に半分ほどの内容を現代語に改め冊子にまとめた。今年、北海道教育大釧路校の山元研二教授(歴史教育)が冊子を読み込んだ。
44年8月には「私たちは恋をしてはいけないのか」と等身大の悩みを吐露。軍隊の不条理さに不信感を募らせる様子を赤裸々につづっていた。
45年に入ると、新聞や文学を通して死に向かう精神を見つめ直すようになる。同年7月には「心から日本人として大君に仕え奉る光栄と感謝の念を得た」と記した。
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