HC栃木日光アイスバックスの前身となる古河電工アイスホッケー部が誕生してから今年で100年を迎える。大正時代に生まれた国内最古のアイスホッケーチームは、不況の波にのまれて1999年の廃部で消滅の危機に陥った。その後クラブチーム化したが、何度もチーム運営危機に見舞われながら、クラブを立て直した。日光でつながれたバックスの歴史を振り返る。
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1990年代の日本全体の不況は、チームにも容赦なく襲いかかった。
99年1月上旬、当時古河電工のDFだった村井忠寛(むらいただひろ)さん(50)ら選手たちは、全日本選手権を数日後に控え、都内のホテルの一室にいた。「今季をもって廃部する」。同社関係者が淡々と告げた。「これからどうなっていくのだろうか」。選手たちは顔色を失った。
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