2005年に下野新聞紙面で連載した「戦後60年 とちぎ産業史」。第2次世界大戦後、栃木県内の産業や企業はどんな盛衰のドラマを繰り広げたのか-。今年は戦後80年。関係者の証言などを収めた20年前の記事を通して、あらためて戦後の歩みを振り返ります(9月7日まで毎日配信予定)。記事一覧はこちら。
【戦後60年 とちぎ産業史】百貨店(中)
財界の若きカリスマの言葉に力がこもった。
「一部の既存業者からは反対の声も出ると思うが、それは覚悟している」
高度経済成長の真っただ中だった一九六九年四月二十三日。西武百貨店の堤清二社長が自ら宇都宮市内に乗り込み、県庁知事室で記者会見を行った。同市馬場町で「斎藤興行部」(現・斎藤商事)が経営する四つの映画館を取り壊し、その跡地に七一年に「西武百貨店宇都宮店」を開店する計画の発表だった。
当時、西武百貨店は東京都内や静岡、大宮市(現さいたま市)内などに十店を持ち、総売上高は七百億円に上った。堤社長は四十二歳の若さながら、百貨店を核に西友、パルコなどを加えた一大セゾングループを形成しつつあり、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
「感性豊かな人。内に厳しさを秘めていたのだろうが、決して表に出さなかった」。土地・建物のオーナーだった斎藤商事社長の斎藤高蔵氏(56)が述懐する。
宇都宮店の開店後、堤氏は何度か営業状況の視察に訪れたが、その際は従業員にも来店を知らせない「お忍び」だったという。「時代の寵児(ちょうじ)」としてマスコミの注目を集めていた全盛期の一端をうかがわせるエピソードだ。
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