2005年に下野新聞紙面で連載した「戦後60年 とちぎ産業史」。第2次世界大戦後、栃木県内の産業や企業はどんな盛衰のドラマを繰り広げたのか-。今年は戦後80年。関係者の証言などを収めた20年前の記事を通して、あらためて戦後の歩みを振り返ります(9月7日まで毎日配信予定)。記事一覧はこちら。
【戦後60年 とちぎ産業史】外食産業
日曜日、二階に通じるらせん階段は家族連れで埋め尽くされていた。平日の昼時は周辺で勤務するOLたちであふれた。当時、「お好み食堂」と呼ばれ、オムライスやソーダ水が人気だった。
宇都宮市の中心部にあったマスキンの大衆食堂。斎藤商事(宇都宮市曲師町・旧マスキン)の大淵皓之常務は「当時は当たり前の光景だったが、今思えばたいしたものだった」と、昭和四十年代の往時を振り返った。
昭和三十年代に登場したファミリーレストランの先駆けだった。
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