第107回全国高校野球選手権栃木大会決勝は27日、青藍泰斗が延長十回タイブレークの末、4-3で作新学院に競り勝ち、校名変更前の葛生時代以来35年ぶり2度目の優勝を飾った。

 青藍泰斗側の応援席にはよく、地元・佐野市葛生地区にゆかりのある「葛生原人」が現れる。校内のみならず、一部の高校野球ファンにも知られる原人は、果たして何者なのか。

 17日、宇都宮市のエイジェックスタジアムで行われた2回戦、青藍泰斗-宇都宮中央。ヒョウ柄の布に身をまとい、メガホンを手に声を上げる。「かっとばせ!」。一塁側スタンドに陣取るメガネをかけた原人は、初回に青藍泰斗が先制すると安堵の表情を浮かべながら声援を送った。

野球部員と一緒に応援する「葛生原人」
野球部員と一緒に応援する「葛生原人」

 原人の正体は、佐野市職員の清水一弘(しみずかずひろ)さん(53)。原人スタイルで約30年、スタンドから青藍泰斗の応援を続けている。

 声援に後押しされた青藍泰斗は10-3で危なげなく初戦を突破。清水さんは「選手たちも緊張したと思うが、勝ててほっとした」と頬をほころばせた。

勝利後の校歌斉唱でタオルを掲げる「葛生原人」
勝利後の校歌斉唱でタオルを掲げる「葛生原人」

 清水さんは1994年度、合併前の旧葛生町職員に採用された。

 その4年前の90年夏には、青藍泰斗の前身・葛生高が甲子園に初出場を果たした。初戦で山陽(広島)と対戦した葛生は「あと1人」から4失点し敗戦。栃木県勢が「甲子園の魔物」に襲われた劇的な一戦として今も語り継がれている。

 清水さんは、若手職員として足を運ぶ先々で甲子園出場時の思い出話を耳にした。石灰の街に舞う紙吹雪、甲子園に向かう何台ものバスの車列-。「おらが町」の高校の偉業に、町が一体となって盛り上がったことを知った。

 「地元の高校生が頑張っている姿は素晴らしい。自分も一緒に応援したい」。清水さんはそう心に決め、町のイベントで使っていた原人の衣装に身をまとい、スタンドで声援を送るようになった。それ以来、夏の県大会はほぼ全試合、欠かさずに現地で応援している。

選手たちにエールを送る「葛生原人」
選手たちにエールを送る「葛生原人」

 うがった見方をすれば、高校生や保護者に交じって半裸で応援する中年男性がいたら「変わり者」と見られかねない。何が現代の“原人”を突き動かすのか。

 清水さんは「応援『させていただいている』ことは忘れてはいけない。子どもたちや保護者など頑張っている人がいるから応援できる」と強調する。だからこそ「応援も真剣になる」

 春ごろからは筋トレを強化し、夏に向けて体を仕上げていく。平日に試合がある場合は休暇を取得する必要があるため、体調を崩して休暇を消化してしまわないよう、普段から健康管理にも気を使っているという。

勝利しスタンドに挨拶する選手たちをねぎらう「葛生原人」
勝利しスタンドに挨拶する選手たちをねぎらう「葛生原人」

 ただ、学校は90年夏以来、一度も甲子園に出場していなかった。清水さんもまだ一度も聖地に立てていない。

 夏の大会は97年、2000年、04年にも決勝で涙を飲んだ。最も惜しかったのは13年の夏、作新学院との決勝だろう。1点リードの9回表、2アウトランナーなし。悲願達成まであと1人だったが、死球、盗塁から同点タイムリー、さらに勝ち越しタイムリーで一気に逆転され、敗れた。栃木県高校球史に残る一戦に、清水さんも「こんなことがあるのか」と絶句した。

 20年夏は、前年秋の県大会を制し前評判も高かったが、新型コロナウイルス禍で大会が交流試合になる不運もあった。

 一方で今年は巡り合わせも感じている。清水さんは春の人事異動で、葛生行政センターの所長に就任。05年の合併後、初めて葛生地区が勤務地になった。窓口を訪れるのは、旧葛生町時代から顔なじみの人たち。「思い入れのある葛生に戻ってきた今年こそ」。例年以上に応援に力が入る。

 甲子園に行きたい気持ちの強さは、誰にも負けない自負がある。だが、実際に試合をするのは選手たち。「結果も重要だが、選手たちには全部を出し切って、後悔なくやり切ってほしい」。現代によみがえった葛生原人は、穏やかな表情でエールを送った。

 (斉藤章人)