立命館大での講演に臨んだチェ・ミンシク=4月、京都市

 立命館大での講演に臨んだチェ・ミンシク=4月、京都市

 立命館大の教員らと語り合うチェ・ミンシク(左から2人目)=4月、京都市

 チェ・ミンシク

 立命館大での講演に臨んだチェ・ミンシク=4月、京都市  立命館大での講演に臨んだチェ・ミンシク=4月、京都市  立命館大の教員らと語り合うチェ・ミンシク(左から2人目)=4月、京都市  チェ・ミンシク

 映画「オールド・ボーイ」「バトル・オーシャン 海上決戦」、「破墓/パミョ」などで主演を務めた韓国を代表する名優のチェ・ミンシクが、京都市の立命館大学で講演し、映画館と大学時代の恩師という、自身の俳優人生を決定づけた二つの縁を語った。チェ・ミンシクが公の場で講演するのは珍しく、学生やファンらとの質疑応答まで、会場は熱気に包まれた。

【(1)劇場が包み込んでくれた】

 (拍手に迎えられて登壇)中高生時代を振り返ると、何にも興味が持てず、友人もそれほどおらず、一人でいるのが好きでした。学校が本当に苦痛だったんです。ある日、学校を抜けて、何となしにバスに乗って行ったのが「中央劇場」という映画館でした。チケットを買い、真っ暗な劇場に入ると、すごくぐっすり眠れたんです。上映されていた映画が何かは覚えていません(笑)。

 それで学校よりも劇場に行くのが楽しくなりました。一種の逃避行です。他人を見ることも、見られることもない暗い空間が、私を温かく包み込んでくれた。

 ある時から、映画の内容が入ってくるようになりました。アメリカ映画の『スター誕生』を見て、それが心に響いたんです。それからは古典から人気作、作家性のあるもの、いろんな作品を見ました。自分も一度、ああいうことをやってみたいと思うようになりました。

 私はその後、演劇の道に進みますが、劇場という場が、人生の羅針盤になってくれました。私の人生の中で、とても大切な縁です。人間や、この世界に対して、共に何かを感じ、喜び、怒り、コミュニケーションできる場。皆さんにもぜひ劇場に足を運んで、劇場を守っていただきたい。そう思います。

【(2)撮影前に酒を飲まない理由】

 私は俳優ではなく、映画を作りたいと思い、東国大学の演劇映画学科に入学しました。そこの教授がとても怖い先生で、陸軍の将校養成学校かと思うほどでした。

 恥ずかしいことですが、私は卒業公演の前日に酒を飲みすぎて体調を崩してしまったのです。本当にこっぴどく怒られました。それで(今も)、撮影前には絶対に酒を飲みません。

 その先生はいつも言いました。「おまえたちがこれからなろうとしている俳優が、どれだけ崇高で神聖な仕事なのか知っているのか? おまえらは劇場に集まってる人々と一緒に喜んで、一緒に泣いて、その人たちの人生を応援する仕事なんだ」「おまえらは芸術家で、表現手法は人生とその目的なんだ」と。

 今の価値観で考えると、とても厳格で堅苦しいですよね。先生は「俳優という職業の意味を考えろ。人間のさがを表現する仕事であるし、人間だけでなく、星でも木でも何でもなれる」とも言いました。俳優の表現技法や価値、自尊心とは何かを教えてくれようとしたのだと思います。

【(3)怖くて、寂しくて、孤独で】

 (会場からは質問が相次いだ)

―撮影を前にして、恐怖を感じる瞬間はありますか。

 監督や共演の俳優といろいろな話をします。でも、カメラの目の前で監督が「レディー・アクション」と言う瞬間、徹底的に一人になります。誰も、私の表現に介入することはできない。代わりの人は誰もいないわけで、とても怖くて、寂しくて、孤独で、本当に震えます。

 ―他人から評価を受ける仕事についてどう思うか。観客に伝えたいことは。

 

 私は私のために演じているんです。自分の人生とは? そんな問いに答えるために演技をしています。大衆の評価というのは「無視」します。もちろん観客なしで、私たちは存在しません。にもかかわらず「無視」するというのは「観客の顔色をうかがいたくはない」という意味です。演技は対話でもあります。俳優の仕事をし続ける限り、私が話したいことを観客に語りかけようと思っています。

【(4)批判的な意識、声に出すべきだ】

 ―映画館に一定割合で国産映画の上映を義務づける「スクリーンクオータ制」の維持を求めるなど、社会的な発言も活発ですが、自身にとって負担にならないのか。

 軍事独裁政権の時期、映画俳優は(当局の)広報のように使われていた。こうやれと言われた通りにやる、そんな時代でした。しかし今は大衆芸術家、俳優や歌手も社会的な発言をします。私自身はそれを、とても肯定的に捉えています。(発言することに)批判はありますが、数十年かけて韓国の民主化のために血と涙を流してこられた人々に比べれば、全然大したものではない。

 自分の性格もあると思います。まずは言ってみて、後から「わっ、やばい」みたいな感じですね。批判は、大衆芸術に関わる人々の影響力を認めて、恐れているということでもある。だからこそ、私たちはもっと批判的な意識を持って声を出すべきだと考えます。

 ―次回作は。

 ネットフリックスのドラマです。スペインの劇作家、フアン・マヨルガ(Juan Mayorga)の作品が原作で「最後列の少年」といいます。

 主人公はかつて小説家で、一冊だけ作品を出し、その後は大学教授をしています。一冊しか書かず教職に就いていることにコンプレックスがある。学校内で繰り広げられるミステリースリラーという感じです。

(取材・文 共同通信=加藤駿)