伯父の墓前で手を合わせる内田典子さん=12日午後2時10分、宇都宮市南大通り4丁目

お骨の代わりに入っていたとされるサンゴのかけら

伯父の墓前で手を合わせる内田典子さん=12日午後2時10分、宇都宮市南大通り4丁目 お骨の代わりに入っていたとされるサンゴのかけら

 「お前たちは生きろ」。1945年6月、太平洋戦争末期の沖縄戦で、宇都宮市出身の内田文彦(うちだふみひこ)さんは、看護要員として動員された「ひめゆり学徒隊」を率い、26歳で非命に倒れた。20日の命日を前に、めいの内田典子(のりこ)さん(66)=同市大寛2丁目=が12日、市内にある文彦さんの墓を訪れた。「戦争は不幸しか生まない。この平和が100年続くかは今を生きる私たちに懸かっている」。80年前の夏に思いをはせ、静かに手を合わせた。

 文彦さんは軍人一家の5人きょうだいの長男として生まれた。色覚障害のため軍人にはなれず、宇都宮中(現宇都宮高)から東京高等師範学校、東京文理科大(現筑波大)へ進み、教師になった。