銅板を見詰めながら、同級生14人の名前を読み上げる須釜千代さん(右)と伊東嘉子さん=3月17日、福島県白河市旭町の白河旭高(山形有輝撮影)

1945年4月12日、空襲を受ける保土谷化学工業郡山工場(郡山市所蔵=米国立公文書館提供)

銅板を見詰めながら、同級生14人の名前を読み上げる須釜千代さん(右)と伊東嘉子さん=3月17日、福島県白河市旭町の白河旭高(山形有輝撮影) 1945年4月12日、空襲を受ける保土谷化学工業郡山工場(郡山市所蔵=米国立公文書館提供)

 白河高等女学校(現白河旭高)=福島県白河市旭町=の卒業生、須釜千代(すがまちよ)さん(95)=白河市立石=と伊東嘉子(いとうよしこ)さん(95)=白河市日影=は3月17日、久しぶりに母校を訪れ、正面玄関脇の石碑に貼り付けられた銅板を見詰めた。思い出の詰まったカラタチの木に見守られる場所で、銅板に刻まれた同級生14人の名前を読み上げながら、あの日を振り返った。

 1945年4月12日。朝から、美しい青空が広がっていた。15歳だった2人は、学徒動員で母校から約40キロ離れた郡山市の保土谷化学工業郡山工場で、作業場の消毒や薬品処理に従事していた。午前中の業務を通常より早めに終え、昼休みを取ろうとしていた。ふと見上げると、空に白い飛行機雲が筋を引いていた。

 「B29だ!」と思った途端、サイレンが鳴り響いた。