1970(昭和45)年1月に誕生した栃木県交響楽団(栃響)は、設立から55年を迎えた。2020年6月に創立50周年記念公演を予定していたが、新型コロナウイルス感染症の拡大により延期となり、ようやく来月8日に5年越しとなる記念公演が開催される運びとなった。これまで本県の音楽文化発展に大きく貢献してきた栃響の歩みを振り返るとともに、創立50周年記念公演に向けた思い、未来への展望を聞いた。
「コロナ禍を経て、団員たちの演奏に対する姿勢が大きく変化した」と理事兼事務局長を務める岩本克行(いわもと かつゆき)さんは話す。以前は練習参加率が70~80%程度だったが、現在はほぼ全員が参加しており、演奏のレベルも年々上がっているという。理事でインスペクターの岩原毅(いわはら つよし)さんは「目指してきた『50周年』として公演を開催したいという気持ちが強く、ここ数年はより力を入れて練習に励んできた。演奏ができない時期を経験したことで、演奏できる喜びと感謝の気持ちを再認識できた。きっと5年前の演奏会よりも、今、この気持ちでできる演奏会の方がずっと良いものになると思う」と自信をにじませる。
創立50周年記念公演では、これまでの感謝を込めて、最も親しまれている交響曲の一つであるドヴォルザーク交響曲第九番ホ短調「新世界より」を演奏。また、非常に難度の高いストラヴィンスキーバレエ音楽「春の祭典」に挑戦し、50年間の成果を披露する。
地域密着の活動
現在の栃響は、会社員や公務員、教員、主婦などのアマチュアの楽団員140人余りを誇り、全国に名を知られるアマチュアオーケストラに成長した。宇都宮市を中心とした定期演奏会と県内各地への巡回演奏会を両輪として、地域密着を掲げる栃響の礎が築かれた。また、女性団員の割合は、当初の30%から50%まで増加。さらに、近年、若い世代の入団も多く、男女比・年齢層ともにバランスの良い楽団員構成が、安定した運営につながっている。
理事長で指揮者の水越久夫(みずこし ひさお)さんは「将来の担い手となるジュニアオーケストラやユースオーケストラの育成が課題であり、栃響としての取り組みも求められている」と今後の展望を語る。
1969(昭和44)年、後の宇都宮市長で当時県議の増山道保(ますやま みちほ)氏が、県内音楽関係者に県レベルのオーケストラ設立を呼び掛けた。当時、宇都宮交響楽団と、宇都宮短大音楽科のオーケストラ、宇都宮大学管弦楽団などがそれぞれに活動していたが、増山氏の呼び掛けに応じて音楽関係者が尽力。これらの団体を母体に70(昭和45)年1月に、栃木県交響楽団が誕生した。初代会長には宇都宮短大学長の須賀友正(すか ともまさ)氏、理事長に岩本政蔵(いわもと まさぞう)氏、指揮者に石井信夫(いしい のぶお)氏と田渕進(たぶち すすむ)氏を迎え、楽団員67人で発足した。2代目会長には岩本政蔵氏、続いて須賀淳(すか あつし)氏、吉谷宗夫(よしたに むねお)氏、須賀英之(すか ひでゆき)氏につながってきた。
音楽と共に半世紀
栃響に転機が訪れたのは74(昭和49)年7月、デンマークのコペンハーゲンで行われる世界青少年音楽祭に出演するため、派遣団員80人で初の海外公演に臨んだときだ。音楽祭では石井氏と田渕氏の指揮で演奏し、最優秀賞を獲得。しかし、大きな成果を上げたことで楽団運営の方向性の違いから楽団員が減少。アマチュアオーケストラゆえに転勤や結婚などで楽団員がなかなか定着しないという苦労も重ねたが、楽団員、関係者の努力でそれらの課題を乗り越え、現在は140人規模の団体となっている。
栃木県交響楽団会長
須賀 英之(すか ひでゆき)氏 あいさつ
栃木県交響楽団は、1970年、音楽を愛する県民の熱い思いにより結成され、栃木県の芸術・文化の向上に寄与するという、崇高な理念と使命に向かって精力的に活動を展開して参りました。このたび、創立50周年記念事業を開催できますことは、長年にわたり支えていただいてきた県民の皆様、そして、栃木県をはじめとする関係者の方々からの温かい御支援の賜物であり、心より感謝申し上げます。
これまで、栃響は数多くの演奏機会を与えていただき、とりわけ、東京と欧州・中国における演奏会は、栃響の歴史と成長にとってかけがえのない出来事となりました。また、創立当初より行ってきた県内市町への巡回演奏会は、地域における人々の絆の大切さを実感する機会となり、“栃響らしさ”の醸成につながっております。
記念演奏会におきましては、郷土栃木県への愛着と誇りをクラシックのメロディーに乗せてお届けさせていただきます。皆様の御来場を心よりお待ちしております。