米配信ドラマ「SHOGUN 将軍」で国際的に高く評価された俳優・浅野忠信は絵描きでもある。4月に東京・伊勢丹新宿店で開いた個展「PLAY WITH PAIN(T)」では、モノクロのドローイングや色鮮やかな油彩画、オブジェなどを幅広く紹介した。「僕の俳優人生には痛みしかない」と語る浅野が絵を描くことでつかんだ「自由」とは?
【あさの・ただのぶ】1973年横浜市生まれ。1988年テレビドラマで俳優デビューし、モデルやミュージシャンとしても活動。配信ドラマ「SHOGUN 将軍」の樫木藪重役で、米ゴールデン・グローブ賞テレビ部門の助演男優賞に輝いた。アーティストとしてこれまでにワタリウム美術館や渋谷パルコなどで個展を開催。「蛇口の水が止まらない」などの画集も刊行した。好きな画家はミロ、ピカソ、マティス、ターナー、フリーダ・カーロ。
(1)俳優の裏側にある絵
▼記者 個展の内覧会で行われた記者会見で、作品の数々を「僕の俳優としての歴史と照らし合わせて見てほしい」と語りました。「これだけは外せない」という作品はありますか。
★浅野 どれも外せないんですよね。やはり一点一点に思い出があります。皆さんに一番知っていただいているのは俳優活動だと思うのですが「その裏側にはこれがあったんです」とお見せする感じです。簡単そうな一筆で描いていても、実は「この日は大変だったんです」などと、いろいろな背景がある作品たちだと自分では思っています。
▼記者 (浅野自身が選んだ「花」をモチーフにした作品の横で)解説をお願いします。
★浅野 すごく気に入っている作品です。花の絵を描くのが好きで、なんの花というわけではないのですが、絵の具を使い、形を花にしていくと、豊かなものになるんですね。赤い花に緑の茎というのはよくありますが、ある時、色を変える必要はない、形だけで勝負してみよう!と。濃い緑でまず全体を描き出すと、止まらなくなりました。さらに薄い緑や黄色を重ねていったら、最初に想像していた以上のものとなりました。絶妙に入り組んでいる茎たちがポイントですね。
最近、アトリエができ上がり、気持ちがすごく晴れ晴れとしていた時に描きました。喜びから描いた絵ですね。
(2)痛みがあるから喜びがある
▼記者 今回は「けじめ」の個展と捉えているそうですね。自身の作品を販売し、手放すことを指すのでしょうか。
★浅野 はい。本当は手放したくないですし、ずっとそばにいてほしいんですけど、絵たちの方から「もう大丈夫だから」と言ってくれたような気がするんです。絵たちが「僕らが外の世界に行くことにより、(君は)次に行けるはずだ」と。
▼記者 作品との対話があるのですね。
★浅野 それは常ですね。役者ゆえ、役との対話がほとんどですが、いまだに演じきった何年か前の役とも対話をすることがあります。絵も同じです。
▼記者 役を演ずることと、絵を描くこと。何が違うんですか?
★浅野 役者は台本があって僕の役が決まっているとなると、ゼロからのスタートではないんです。絵については「何を描こう」「どんな画材を使おう」「いつ描こう」と、描き始めてからやめるまで全部を自分で決められるんです。正反対だと思っています。
▼記者 個展のテーマが「痛みと遊ぶ」です。
★浅野 まさにそれが今話した、俳優と絵を描くこととの関係性です。痛みは俳優業で、遊ぶのは絵においてです。撮影現場でたまったストレスや痛みを絵が癒やしてくれる。絵を描いている時は自由な気持ちなり、遊んでいるような気持ちになれます。一方で、痛みがあるからこそ、絵を描く喜びが大きいというのもありますね。
▼記者 俳優業に対して「痛み」という言葉が出てくることに驚きました。
★浅野 僕の俳優人生は痛みしかないです。最初からずっとそうです。親に「おまえは根性がないな」と言われました。僕はちょっとした苦痛が嫌なんです。俳優は(台本に基づくので)ゼロからのスタートではなく、自分の思い通りにならないことが大前提なんです。
例えば、本当は僕は好きな髪形にしたいけれど、役が決まっていたら「丸刈りにしてください」と言われるわけです。高校生の頃だったら夏休み中に友人と遊びたいのに「目いっぱい撮影です」と言われ、「えぇー」となりました。若い頃「うわー」と思っていたことを、今になっても引きずっている。とにかく気持ちは「自由」でいたいんでしょうね。
もちろん俳優をすることは楽しいんですけど、僕が役作りをして「こう演じよう」とプランを作っても、「それはやらないでください」と言われることがあります。「俺の考えた案の方が面白い」と思いながら「はい。では、どうしよう」ともう一回、作り直します。
▼記者 心はずっと痛みを抱えていたのですね。
★浅野 そうですね。日本国内での撮影でしたら、今日は疲れたなと思えば「ラーメンでも食べよう」と発散できる。海外では吐き出す場所がないんですよね。そうすると、絵が助けてくれるんです。「もう絵を描くしかない!」となりますね。
(3)子どものままの目で
▼記者 芸術を生むエネルギーはどこから湧くのですか?
★浅野 そこがここ数日間、自分と対話をしていて分からない部分なんです。「なんで自分は常にこんなにも追い込まれているんだろう」と思うんです。家にいてリラックスしているはずなのに「何かをやらなきゃいけない」「何かできるんじゃないか」という気持ちにずっと追われている。(評論家の)山田五郎さんにそれを話したら、「浅野君、それは貧乏性だよ!」と言われました(大笑い)。
▼記者 どんな時にインスピレーションが湧きますか?
★浅野 さきほどの記者会見では、袖で待っていた時に写真を撮りました。(スマートフォン上の写真を示して)これは、アダプターに刺さっているケーブルです。このように写真を撮っておくんです。普段「面白い」と思ったものを写真に撮っておき、家に帰り、描こうとするんですけど、難しすぎて描けないというのがほとんどです。
▼記者 何げない日常に、題材は転がっているのですね。
★浅野 そうですね。僕が一番見ているのは、天井と壁がぶつかり合うところです。光によって影の感じが違うじゃないですか。この感じがもうたまらなく好きで、こればっかり見ています。
▼記者 着眼点が普通の人とは違う気がします。
★浅野 いやいや! 僕は子供のままなんです。
▼記者 記者会見で「俳優を目いっぱいやり、絵も目いっぱい描いた」という発言がありました。今は「無」に近い境地ですか?
★浅野 そうですね。なんにも浮かばないですね。だから待つしかないなと。「その時が来るのを待つしかないな」と。逆にいうと、ゴールデン・グローブ賞のような賞も、もっともっと前から興味があり、欲しかった。でも、その時には「来ない」わけです。あきらめた時に、ああいうふうにやって来るんです。もう「こういうものはいらないんだ」と思っていたら、もらえるわけで、不思議だなと思っていますね。
(4)自分の色
▼記者 今の境地を色で表すとしたら、どんな色でしょうか?
★浅野 僕は自分の色を決めるのが好きです。映画「47RONIN」の頃は紫だったんですね。だんだん紫色が減り、北野武監督の映画「首」で演じた黒田官兵衛役の時は「緑」でした。僕は決めていないんです。不思議なことに(選んでもらう)衣装がそうなるんです。「首」では緑色を着ていて、「SHOGUN 将軍」もなぜか緑色を着ているんですよ。面白いと思っています。
最近なぜか再び「紫」が気になってますね。紫はもう終わったんだと思っていたところに「そんなことない」と(色の方から)言ってくれている感じがするんですよね。だから不思議だなぁと思っています。
▼記者 作品にはカラフルな油彩画からモノクロのドローイングまであります。どんなふうに色が決まるのですか?
★浅野 2013年ごろ、映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海」(2021年日本公開)の撮影がストレスフルで、ホテルでコピー用紙の裏にボールペンで絵を描いたんです。その時は「白黒がいい」と。でも、描いているうちに絵の具を使いたくなってくるんですね。すると、貧乏性じゃないんですけれど、使わない色がかわいそうに思えてくる。
白、黒、青は減っていくのが早いのですが、紫、茶はあまり減っていかない。それで無理やり、紫や茶を使って描きます。パッと見ると、黒のようでも、黄色と紫を混ぜると黒っぽくなることがあり、そういう色を作って、絵の具の減るバランスを考えて描いています。「色使いが良いですね」と言われるのですが、実は、絵の具の減るバランスなんです。
(5)無責任でいい
▼記者 ご自身にとって、アートの力とは?
★浅野 一番は「答えに近づかせてくれる」という感覚です。普段、いろいろな問題を抱えて生きていますが、考えても進まない時があるんですよね。そういう時にふと美術館に行き、絵を見ると「あっ、なんかいける気がする」となります。答えに近づかせてくれるような気がする。「さっきまで考えていた事は実は違った」「そのままやればいい」など、なにかしらのヒントをくれる。その力は大きいです。アートというのは、本当に人の心を何かしらの形で動かしてくれるものだと思っています。
▼記者 自分で描く時だけでなく、鑑賞する時も対話があるんですね。
★浅野 そうですね。美術館などに一人で行くと、ずっとブツブツと言っていますね。
▼記者 どんな表現者であり続けたいですか。
★浅野 実は僕は「無責任でいいんだ」と思っているんです。というのは、俳優ですから誰かに「こんなものは絵じゃない」と言われても「僕、俳優ですから」と言い訳ができる。何の責任も感じてはいないから、描きたい絵を描きます。
これまで具体的に見えるものだけを意識して描いてきました。今、興味があるのは抽象的なものですね。たとえば、山田五郎さんに教えてもらった「オートマティスム」。目を閉じた時にパッと浮かぶ、えたいの知れないイメージみたいなものをいきなり描いてみる。「現実ではない世界の絵」は描きたい。それが今の自分を自由にしてくれるだろうなと思っています。それはものすごく難しいことではあるでしょうけれどね。
▼記者 アートを通じて何を発信したい?
★浅野 「自由」ですかね。僕は自由でありたい。自然などを見て「いいな」と思う瞬間に、心が自由になるんですよね。それを、できれば描きたい。気持ちいい風が吹いて、ものすごく気持ちが自由になれたというのを表現できたらといいなと思っています。
(取材・文=共同通信 藤原朋子 撮影=佐藤まりえ)