舞台、映像で約70年にわたり、主演し続けてきた俳優・浜木綿子。開場から舞台に立つ東京・日比谷の2代目帝国劇場は建て替えのため2月末に幕を閉じた。浜の航跡を人との出会いを軸にたどる。
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浜木綿子が、三代目市川団子(三代目猿之助、二代目猿翁)と出会ったのは、1961年9月に東京宝塚劇場で上演された、菊田一夫作のミュージカル「香港」であった。
商社勤務で香港を訪れた団子演じる日本人男性と恋に落ちる中国人女性役。団子は歌唱に苦労し、作曲の古関裕而から繰り返し稽古を受けていた。
「とても優しい歌なので、余計に目立つんですね。なんでこの方がミュージカルをなさるんだろう、と思いましたが、菊田先生は『立派な人だから大丈夫だ』とおっしゃるんですよ」
同時に団子からの激しいアプローチが始まった。食事に誘われ、花束も渡された。自宅への電話攻勢に、「妹から『お姉さん、もう居留守を使わないで』と言われました。申し訳なくは感じましたが、それでもあまり気持ちは動きませんでしたね」。
公演中に団子から「見に来てください」と翌月の歌舞伎座の切符を渡された。団子の役は「仮名手本忠臣蔵 山科閑居」の大星力弥。その演技の見事さには心打たれた。
「こんなことができる方なんだ。見違えましたね。菊田先生がおっしゃっていたのはこれなんだと思いました」
団子は舞台化粧の残るまま家族と住む浜の自宅を頻繁に訪れ、ついには隣のマンションに引っ越してきた。
「毎晩訪ねてこられるので歌舞伎好きの両親と仲良くなりました。朝方まで話していたのに、起きたらポストに『いまあなたの寝ている上を飛行機で飛んでいます』と手紙が。すごい方でしたねえ」
団子は63年に猿之助を襲名。二人は65年2月の歌舞伎座公演で共演後に結婚した。(小玉祥子・演劇評論家)
【略歴】こだま・しょうこ 1960年、東京生まれ。全国紙演劇担当を経て演劇評論家に。主な著書に「艶やかに 尾上菊五郎聞き書き」「完本 中村吉右衛門」など。
※10回連載の7回目です。次回は1週間後にUPします。