オウム真理教による地下鉄サリン事件の発生時、原因が特定できない状況下で、多くの医療従事者が懸命に治療に当たった。氏家病院(さくら市)の常務理事で医師の松村啓(まつむらあきら)さん(56)もその一人。当時の記憶は今も鮮明に脳裏に刻まれている。あれから30年の歳月が過ぎた。事件を知らない世代が増える中、極端な情報や主張に「安易に流されてしまう危うさ」が現代社会にもあると感じている。
事件のあった1995年3月20日。当時、松村さんは東京都内の病院の研修医だった。朝、勤務途中に鳴ったポケベルで、第一報を受けた。「地下鉄で大規模な事故が起きたようだ」
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