青木周蔵感謝祭に出席し、あいさつする青木盛久=2017年11月(人見忠夫さん提供)

本紙に「ダンスは自分の人生そのもの」と語った真島茂樹=2005年

土本武司

志賀かう子

篠崎醉月

青木周蔵感謝祭に出席し、あいさつする青木盛久=2017年11月(人見忠夫さん提供) 本紙に「ダンスは自分の人生そのもの」と語った真島茂樹=2005年 土本武司 志賀かう子 篠崎醉月

 県内でも各界で足跡を残した人が惜しまれつつ旅立った。

 那須塩原市出身で1996年のペルー大使公邸人質事件当時、駐ペルー大使だった青木盛久(あおきもりひさ)(85歳、11・9)。同市青木地区の開拓に貢献した明治期の外交官青木周蔵(あおきしゅうぞう)のひ孫で、63年に外務省入省、94年に駐ペルー大使に就任した。96年12月、左翼ゲリラに大使公邸が占拠され127日間の人質生活を送った。駐ケニア大使などを経て2001年に退官。海外勤務の経験を生かし、青年海外協力隊の事務局長や「協力隊を育てる会」の副会長も務めた。県内では03年、協力隊を支援する「とちぎ応援団」発足に力を注いだ。