不発弾被害の悲惨さ、義足が必要とされる実態などを説明するカムチャンさん(左から2人目)=7日午後、首都ビエンチャン

ラオスの地図

不発弾被害の悲惨さ、義足が必要とされる実態などを説明するカムチャンさん(左から2人目)=7日午後、首都ビエンチャン ラオスの地図

 東南アジア最長の母なる川、メコン川沿いに広がる首都ビエンチャン。リハビリテーション施設が立ち並ぶ一角で白壁の建物に入った瞬間、息をのんだ。

 コープ・ビジター・センター。天井からつるされた無数の球体は、ベトナム戦争時の1964~73年、米軍が投下したクラスター(集束)弾の模型だ。他にも写真や、竹や鉄、不発弾の破片で作られた補装具などを展示し、戦争の悲惨さを伝えている。

 米軍が投下したクラスター弾は実に約2億7千万発。その3割に当たる約8千万発が、今も国土に埋まっている。

 センターを運営する非営利組織の広報担当、ペットスパン・カムチャンさん(38)は「国民は日々の農作業で不発弾と遭遇するなど危険に囲まれている」と話す。一方で「アメリカを嫌う感情よりも、不発弾を全て持ち帰ってほしいとの思いの方が強い」。争いごとを嫌い、助け合いを重視するという国民性を垣間見た思いがした。