日本最古の学校「足利学校」(足利市昌平町)は明治初期、風前のともしびだった。
廃藩置県の翌1872年に廃校となり、校地の東半分は73年、小学校の敷地に転用され、足利学校の建物は取り壊された。貴重な蔵書は役場内に放置され、散逸の可能性があった。
その危機を救ったのが、旧足利藩士の画家田崎草雲(たさきそううん)ら足利の民だったとされる。熱心な返還運動を展開した結果、蔵書は地元に返還された。
1970年代には、敷地内の小学校舎の老朽化問題が浮上する。周囲は21年に国指定の史跡となり、大幅な改築は困難だった。小学校を移転させ、足利学校にふさわしい整備を求める声が上がった。反対論も根強かったが、12年間にわたる議論の末、82年に移転が実現した。
その後、市は発掘や文献の調査を実施。残っていた江戸中期の資材帳(設計書)を基に、学生の講義などで使われた「方丈」や台所「庫裏」などの建物の復元を決めた。
88年度に着工し、90年度に完成。建物や庭園、堀などの復元や発掘も含めた事業費は、総額15億円に上った。
足利尊氏(あしかがたかうじ)が主人公のNHK大河ドラマ「太平記」の相乗効果もあり、91年の足利学校の来場者は70万人に上った。この記録は今も破られていない。
廃校から100年以上を経て、その姿をよみがえらせた市民の熱意。大澤伸啓(おおさわのぶひろ)学芸員(63)は「足利学校は市民の誇りであり、アイデンティティー。維持管理を図り、その価値を広く発信していくことが私たち市民の使命だ」と強調する。