東京タワーのすぐ近く、芝公園に位置する増上寺(東京都港区)。徳川将軍家の菩提(ぼだい)寺にある梵鐘(ぼんしょう)は、意外にも佐野市の伝統工芸「天明鋳物」のゆかりだという。

 千年の歴史を持つ天明鋳物は、下野国佐野天明(佐野市)の地で作られたもの、または佐野の鋳物師(いもじ)によって各地で作られたものを指す。40年近く天明鋳物を研究している佐野市在住の高橋久敬(たかはしひさたか)さん(80)は「小田原北条氏や家康(いえやす)に召し抱えられた佐野の鋳物師が江戸築城にも関わった」と説明。そのまま江戸に定着した鋳物師の末裔(まつえい)や配下の作品も広義の天明鋳物と捉えることもできる。

 「江戸三大名鐘」の一つである増上寺の梵鐘は延宝元(1673)年、4代将軍家綱(いえつな)の命で、鋳物師の椎名(しいな)伊予守(いよのかみ)吉寛(よしひろ)が制作した。江戸で鋳造されたものとしては最古といい、7回の鋳造を経てやっと完成した。

江戸時代から残る増上寺の梵鐘。今も時報や法要など現役で使用されている

 東日本では最大級で、総高3・3メートル、口径1・76メートル、重さ15トン。厚みも20センチはあろうか。鐘の真下に入ると、その重厚感に圧倒される。同寺の担当者は「音も大きく、ドン、ドンと響く」と話す。

 鐘を突くのは朝8時と夕方5時の2回。江戸時代は〈今鳴るは 芝(増上寺)か上野(寛永寺)か 浅草(浅草寺)か〉〈江戸七分 ほどは聞こえる 芝の鐘〉などと詠まれ、江戸庶民に親しまれた。港区文化財にも指定されている。

 高橋さんによると、都内の天明鋳物の多くは梵鐘や仏像、燈籠(とうろう)など。寛永寺や浅草寺、上野東照宮など有名な寺社が名を連ねる。和物だけかと思いきや、東京カテドラル大聖堂(文京区)のベルにも使われているそうだ。

皇居・平川橋の擬宝珠。10口のうち4口が天明鋳物だ

 江戸城内郭門の一つで、皇居東御苑の北側にある平川門。ここに通じる平川橋の欄干を飾る擬宝珠(ぎぼし)も4口が天明鋳物だ。「慶長拾九年 御大工 椎名伊予」と刻まれている。慶長19(1614)年は2代将軍秀忠(ひでただ)の時代。擬宝珠は高さ約60センチ、直径約30センチ。雨風に耐え古びた色合いに江戸の面影が感じられる。

 災害や戦禍を乗り越えて現存する数々の天明鋳物。「新しいものに替えられず何百年と続いている。この歴史が天明鋳物のプライド」。高橋さんの力強い言葉が印象的だった。

◆天明鋳物 天慶年間(938~947)、河内国(大阪府)から5人の鋳物師が移住し、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の命で軍器類を鋳造したのが始まりと伝えられる。最盛期は江戸中期とされ、佐野市金屋町一帯は70~80の鋳物工場が軒を連ねたという。現在も市内で4人の鋳物師が活躍している。