▽2回戦
小   山000000100│1
東海大相模000000000│0
(小)黒田-立川(東)村中-伊東

7回、小山の黒田が相手投手の暴投で生還。これが決勝点となった=1976年8月15日、甲子園球場

 真っ向勝負ではかなわない相手だった。センバツで準優勝した小山の2回戦の相手は優勝候補の東海大相模。当時2年で捕手だった立川利光(たちかわとしみつ)(58)は「忘れられないのは甲子園の異様な雰囲気。若い女の子ばかりでコンサート会場のようだった」と振り返った。

たちかわ・としみつ 1959年生まれ。栃木東陽中-小山高-専大。会社役員。栃木市在住。

 東海大相模打線の中心はアイドル的人気を誇った3番の原辰徳(はらたつのり)と「ホームラン男」と呼ばれた4番の津末英明(つすえひであき)。対戦が決まると、立川は東海大相模が釧路江南(北北海道)を5-0で下した1回戦のスコアブックに見入った。
 当時の小山は定時制があり、野球部が放課後にグラウンドを使えるのは2時間程度。若色道夫(わかいろみちお)監督の口癖は「考えてやれ」。当時は珍しかった「複数ポジション制」など、理論やデータを重視した先進的な野球の中心に立川がいた。

 記録係が書き込んだ球種、コースと打球方向を徹底的に分析した立川は「外角一辺倒ではやられる」と判断。原にはシュート、津末にはカーブを軸に徹底した内角攻めで臨むことを決めた。
 京都商との1回戦に続いて先発登板した主将の黒田光弘(くろだみつひろ)は、初回に1死二塁とピンチを招くも原、津末を連続三振。横手やクイック投法、超スローカーブを織り交ぜた変幻自在の投球で強力打線を翻弄(ほんろう)した。「投球前に打者に狙われていると感じると、ほんの少しタイミングをずらす。危険察知能力は天才」。立川は黒田の度胸に感心しつつ、各打者の表情を観察しながら巧みなリードでサポート。原の打席では外野陣を左に寄せるなど大胆な守備シフトを敷くことで動揺を誘った。

 均衡を破ったのは七回。左前打で出塁した黒田が2死後に相手投手の暴投で生還。九回の守備で2死走者なしから原を三ゴロに打ち取り、試合は終わった。黒田は長打なしの散発3安打と完ぺきな内容。当たり損ねの1安打、2三振に抑えられた原はお立ち台で涙を流した。
 立川の耳には女子高生の金切り声が今も残る。「勝てたのは黒田さんのおかげ。私にとっては捕手の面白さや奥深さを教えてくれた試合だった」

(敬称略)

大会メモ

小山は県大会決勝で足利学園(現白鴎足利)を4-0で下し、8年ぶり2度目の甲子園出場。1回戦は京都商に2-0。3回戦は豊見城(沖縄)に1-2で敗れた。優勝は桜美林(西東京)。