初当選を果たし、森山真弓元法相と抱き合って喜ぶ上野氏(左)=2010年7月12日、宇都宮市内

 歴史的な政権交代の高揚と変革への希望は急速にしぼんでいった。

 2009年8月の衆院選で自民党に大勝し、誕生した民主党政権。だが鳩山由紀夫(はとやまゆきお)首相は、金銭問題や米軍普天間飛行場移設問題の混乱で支持率が急落する。

 惨敗した自民は再生を模索していた。県連は翌夏の参院選に向けて同年12月、国政選挙では初めて公募での候補者擁立に乗り出す。

 県議にも声がかかった。2期目だった上野通子(うえのみちこ)氏もその一人。自身の目指す教育や子育ての実現へ「条例だけでなく、国政で法律も変えなければ」と感じ始めていた。

 勝算があったわけではない。野党に転落した自民から業界団体は離れ、民主現職は参院予算委員長を務める重鎮の簗瀬進(やなせすすむ)氏。渡辺喜美(わたなべよしみ)氏が結党したみんなの党も勢いがあった。

 10年3月の予備選で圧勝し、正式な候補者に。存亡をかける自民を挙げての支援を受け、女性としての思いを徹底的に訴え続けた。

 鳩山首相が退陣に追い込まれたのは公示まで1カ月を切ったころだった。菅直人(かんなおと)内閣が誕生し、支持率はV字回復する。

 一時はダブルスコアでリードとも言われていた簗瀬氏。陣営に緩みが生じ、運動量が増えない。菅首相もすぐに消費増税発言で失速し、差が詰まっていった。

 投開票日。上野氏が副校長を務める高校の卒業生に娘が投票先を尋ねると、半分以上が簗瀬氏だった。「ママ、負けたね…」。謝罪の文言を練り、土下座覚悟で選挙事務所に向かった。

 

 結果は4892票差での勝利だった。当選あいさつで何を話したのか全く記憶がない。勝因は「何も実現できない民主への不信や不満の高まり」。もう一つは自民の底力だ。「逆境の野党だったからあれほど結束できた。あんな選挙ない」

 民主は全国で大敗。再び与野党が逆転し、「ねじれ国会」となった。期待の分、失望の反動も大きかった。