5万号の歩みの中で多様なニュースと向き合い、読者に記事を届けてきた下野新聞。当時の取材協力者は、その記事をどう受け止め、今後の本紙に何を求めているのか。記者が改めて協力者3人に会いに行き、思いを聞いた。
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高校2年で自転車競技を始めて2004年に引退するまで、下野新聞には多くの記事を掲載していただき、励みになりました。
特に印象に残っているのは、02年10月1日付の釜山(プサン)アジア大会(韓国)の女子個人ロードタイムトライアルで銀メダルを取った際の記事です。あの大会には、アルバイトをしながら周りの方々に支えられて出場しました。直前にコンディションを落とした際にも地元の皆さんに励ましていただき、人生で一番と言えるほど頑張れました。海外での大会を取材してもらえると思っていなかったので、国際電話でインタビューしていただけた時は驚いたし、とてもうれしかったです。
帰国して記事の大きさ、反響の大きさにさらにびっくりしました。周囲の皆さんが自分のことのように喜んでくれて「私なんかがいいのかな」と戸惑うほど。マイナー競技でしたが、人生のハイライトを取り上げてもらって本当にありがたかったです。実は、医師になるために編入試験を受けた山口大の面接試験や初期研修の際、自己アピールの材料として活用させていただきました。
医師になって、競技経験を生かそうと日本スポーツ協会公認スポーツドクターとなり、東京五輪ではマウンテンバイクの会場ドクターを務めました。現在は北海道長沼町に住み、4人の子どもを育てながら地域医療に携わっています。また、現役世代をサポートしたいと考え、産業医になる勉強にも取り組んでいます。
そこで強く感じているのは、地域の大切さです。全国的に活躍している人ばかりでなく、地域で地道に活動している人はたくさんいます。スポーツに限らず、地元で頑張っている人たちに光を当ててください。
母親になって、ふるさとから離れて、地元のありがたさや温かさを実感しています。地元紙ならではの記事として、埋もれた話題を発掘して届けてほしい。一人一人のドラマを取り上げてほしい。全国紙にない記事がたくさん載っている。下野新聞はそんな存在であり続けてほしいです。
(構成・田中勝)
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