5万号の歩みの中で多様なニュースと向き合い、読者に記事を届けてきた下野新聞。当時の取材協力者は、その記事をどう受け止め、今後の本紙に何を求めているのか。記者が改めて協力者3人に会いに行き、思いを聞いた。

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 下野新聞などのマスメディアは警察の情報をうのみにし、私が犯人であることを前提とした記事を書きました。でも、無実の証明につながる報道を徹底的に続け、私の名誉を回復してくれたのも下野新聞でした。足利市で生まれ育った私は、何よりも地元の人に無実を知ってほしかった。だからこそ、地元紙の報道は救いになりました。

「足利事件」を特集した当時の記事を見つめる菅家さん
「足利事件」を特集した当時の記事を見つめる菅家さん

 私は1990年に同市で女児(4)が殺害された「足利事件」の容疑者として、翌年に逮捕されました。裁判では「やってません」と否認しましたが、DNA型鑑定で犯人と「一致」したとして、2000年に無期懲役刑が確定しました。罪を犯していないのに、一生刑務所から出ることができないのかと絶望しました。

 裁判のやり直しを求める中でDNA型鑑定の結果への疑問が浮上し、再鑑定をすることになりました。その頃、千葉刑務所にいた私の元に下野新聞の記者から手紙が届きました。私は「再鑑定で無実が分かる」と返信し、それを記事で取り上げてもらいました。

 再鑑定の結果、旧鑑定の誤りが判明し、09年に釈放されました。それから再審で無罪が確定するまでの約10カ月間、多くのメディアから取材を受けました。大変な毎日で、このころのことはほとんど覚えていません。

 ただ、落ち着いてから逮捕当時の下野新聞の記事を見ると、納得できないものもありました。でも、私に最も真剣に向き合ってくれましたので、怒りはありません。無罪判決から今春で16年たちますが、今でも信頼して交流しているのは、下野新聞の記者だけです。

DNA型の再鑑定結果を踏まえた、菅家さんの17年半ぶりの釈放を伝える本紙記事(2009年6月5日付)
DNA型の再鑑定結果を踏まえた、菅家さんの17年半ぶりの釈放を伝える本紙記事(2009年6月5日付)

 記者の人たちには物事に客観的に向き合って、真実を報道してほしいです。もし「おかしい」と思う事件や問題と出合ったら、そのままにせず、きちんと調べてもらいたいです。私が裁判で無罪を訴えていたとき、拘置所にいた私に面会し、話を聞くこともできたはずです。

 最近は体調が優れず、痩せてしまいました。でも、私と同じように苦しむ冤罪(えんざい)被害者の支援は続けたいです。下野新聞との付き合いも一生です。