前身の第1次杤木新聞の創刊から数えた発行号数が通算5万号を迎えた下野新聞。この節目に合わせ、読者の皆さまから「忘れ得ぬ、あの日の記事」を募集したところ、数多くの思い出やエピソードに関する投稿が寄せられました。本紙に対する期待や励ましの声が添えられた投稿も多く、深く感謝申し上げますとともに、ここに一部を紹介させていただきます。

 

 人生の礎となる体験に

川嶋秀樹(かわしま・ひでき)さん(63)宇都宮市 

 栃の葉国体の水球競技で優勝を成し遂げた時、たくさん紙面に取り上げていただきました。私にとってこの体験が人生の礎となり、教員人生でどんな困難にぶち当たっても乗り越えることができた気がします。

 あいさつや基本的生活習慣といった、高校時代の恩師の教えが心と体に染みつき、間違いなく多くの場面で生かされました。感謝でいっぱいです。(私とは別の高校水球部マネージャーだった)妻との出会いも水球を通じてでした。

 当時のさまざまな思いがこみ上げてくる、忘れ得ぬ記事です。(1980年9月11日付)

 

 

 40年に及ぶ活動の原点

田中一紀(たなか・かずのり)さん(84)宇都宮

 戦争反対、平和を求め1985年に宇都宮平和祈念館建設準備会が発足し、「つくる会」への名称変更を経て、2015年にピースうつのみやが誕生しました。そして25年11月24日、活動に幕を下ろしました。

 これまで下野新聞が紹介した記事、写真は忘れられないものばかり。一つ選ぶとすれば1985年8月の「ニューススコープ」です。会の活動、フォローし続けてきた記者の方々、全下野新聞労働組合に結集した組合員、社の皆さんの支えがあったからこそ、今日まで活動を続けてこられた原点となる記事でした。(1985年8月18日付)

 

 

 書家として飛躍の契機に

前田惣吉(まえだ・そうきち)さん(81)東京都板橋区

 1991年、1面掲載の「TOKYO県人記」で取り上げていただきました。東京で活躍する本県出身者を紹介する連載。森昌子(もりまさこ)さん、ガッツ石松(いしまつ)さんなどキラ星のごとき著名人が登場する中、私も本記事掲載により、一躍“時の人”になりました。

 今、書家として「書は人なり心なり」を具現化でき得たのも、本記事が契機になってのことです。当時、共同通信記者だった私。取材する側からされる側に立ち位置が変わり、緊張感に包まれた取材の3時間余でしたが、良き思い出として脳裏に刻まれています。(1991年3月24日付)

 

 

 節目節目の報道に感謝

奥沢浩(おくさわ・ひろし)さん(78)宇都宮市

 20歳からサッカーの審判を務めてきた私にとって忘れられない記事は1996年、審判2000試合を達成した時の記事です。台風のため最悪の状態での試合となったため、忘れられません。他にも節目の試合は下野新聞記者諸氏に取材していただき、それが本県サッカー審判界の地位向上に大いに貢献してくれました。

 公式戦の審判は現在3190試合。今年7月に宇都宮市で全国自治体職員サッカー選手権大会が開かれます。何とか第4審判を務めたい。それが終われば、私の長い審判人生も終わりと考えています。(1996年9月25日付)

 

 

 わが子の活躍紙面飾る

小松原貢(こまつばら・みつぎ)さん(78)栃木市

 真っ先に思いつくのは1999年7月、夏の高校野球栃木大会で息子が所属した小山西高の3回戦勝利を伝えた紙面。息子が放った適時打の写真に、妻と「何これ!」「えぇ」と驚き、見入ってしまいました。

 チームは決勝に駒を進めたものの、初回に大量点を奪われ力尽きました。重苦しい気持ちで翌日の紙面を開くと、そこにはホームを目がけ突進する息子の姿が。敗者をたたえる感動の記事も添えられていました。

 甲子園の夢は現実になりませんでしたが、一連の写真と記事は夢想だにしない宝物となりました。(1999年7月18、27日付)

 

 

 名投手支えた「言葉」胸に

田部井俊勝(たべい・としかつ)さん(71)足利市

 故相田(あいだ)みつをさんの書と言葉に、いつも元気を頂いています。一方、昨年は日本人メジャーリーガーの活躍で野球が盛り上がりました。その野球と相田さんの一ドラマをテーマにしたのが「とちぎ20世紀」の相田さんの記事です。

 記事は投球の9割が直球だったともいわれる広島の故津田恒実(つだつねみ)投手を取り上げています。32歳の若さで逝去した、気迫あふれる「炎のストッパー」は印象的でした。その津田投手に勇気を与えたという相田さんの「道」の言葉。人生に少し迷った時に、この作品を心の中で復唱しています。(1999年10月24日付)

 

 

 愛犬「はな」との縁結ぶ

藤田美津江(ふじた・みつえ)さん(71)足利市

 まだ目も開いていない子犬3匹が、空き箱の中で折り重なるようにしている写真が掲載されました。雪の日だというのに…。

 当時、わが家には高齢になった雄犬と猫数匹がいたのですが、記事を読んで「1匹なら迎えられる!」との思いで愛護センターまで行きました。引き取った「女の子」はすくすく育ち、お散歩デビューした日のことは、きのうのことのように覚えています。

 新聞がつないでくれた縁で「はなちゃん」は家族にたくさんの笑顔と幸せの日々をくれました。16年間ありがとう。楽しかったよ。(2002年12月11日付)

 

 

 切り抜き、今も食卓に

鳥羽幸江(とば・ゆきえ)さん(56)真岡市

 幸せな人生を送るには「感謝する心を持つこと」が絶対条件だと確信しています。そして日常生活は「他人の労働の恩恵があるから」だと思っていました。それらを見事に文章化した記事が掲載されました。

 何度も読み、子どもにも思いを伝えてきました。おかげで私も他人の労働の一部として、誰かの生活を支えているという自己肯定感を持つことができました。

 記事は切り抜いて、今でも食卓のテーブルマットの下に入れています。記事を書いた小沼正則(おぬままさのり)さん、下野新聞社の皆さん、本当にありがとうございました。(2006年4月30日付「日曜論壇」)