31年を経て心に決めた。「1・17」を伝える語り部になると。阪神大震災で妻子を失った兵庫県芦屋市の百々孝治さん(70)は、つらい経験と周囲に吐き出せなかった思いを「元気なうちに伝えなければ」と思うようになった。再婚後に生まれた高校生の息子が、さりげなく背中を押してくれた。
31年前の1月17日早朝。神戸市東灘区の自宅で妻君子さんと娘麻衣子ちゃんと就寝中に強い揺れが襲い、崩れた家の下敷きになった。救出され、目に飛び込んだのは家々に遮られ見えないはずの六甲山。小学校の体育館で君子さんと麻衣子ちゃんの遺体と対面した。
震災後、縁に恵まれ新たな家庭を築き、2009年に息子龍輝さんが生まれた。毎年1月17日朝は亡くなった2人の名前を刻んだ銘板がある「東遊園地」を訪れ、手を合わせてきた。
小学生の頃に「地震がなかったら、自分は生きていない」と口にすることもあった龍輝さん。中学生になるとき、追悼が通学に影響することから「もう行かなくてええんちゃう」と百々さんが尋ねると「行かない選択肢はない」と言い切った。
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