数々の印象的な走りで「ミスター郡市」と呼ばれた阿久津(左)。矢板市、黒磯市など数多くのチームで好走した=1996年の第37回大会から

阿久津浩三さん

数々の印象的な走りで「ミスター郡市」と呼ばれた阿久津(左)。矢板市、黒磯市など数多くのチームで好走した=1996年の第37回大会から 阿久津浩三さん

 郡市町駅伝に初めて出場したのは、那須郡チームで出場した黒田原中2年の時。その後、矢板市や黒磯市、那須塩原市で数多くのレースに出場させてもらいました。それぞれ思い入れはありますが、一つだけ挙げるとすれば矢板市の一員として出場した第26回大会(1985年)でしょうか。

 中学卒業後に茨城県の日立工業専修学校に通い、そのまま日立製作所に就職しました。5年間会社の陸上同好会で走っていましたが、栃木県の陸上関係者から「栃木に帰って来い」と声を掛けていただいたこともあり、当時両親らが住んでいた矢板市に帰郷。兄の勧めで矢板チームに加わり、エース区間の2区(10・9キロ)を任されました。

 当時は24歳。秀でた実績はなかったのですが「日本選手権や国体で優勝したい」と練習量は積んでいたので、記録も伸び始めていました。「区間記録を塗り替えてやろう」と意気込んで臨んだ当日は、体が軽くて絶好調。トップの黒磯Aと1分以上離れた12~13位でたすきを受け取りましたが、残り3キロあたりで先頭に立ち、区間新記録を出すことができました。

 この年の矢板は総合5位。久々の入賞だったようで、レース後の打ち上げはまるで優勝したかのような大騒ぎでした。関係者に「よくやってくれた」と感謝され、本当にうれしかったですね。駅伝は地域を代表して走るのでモチベーションが高かったし、自分も成長できた。郡市町駅伝や東日本縦断駅伝が、私をオリンピック選手にまで育ててくれたと思います。

 現在は、大田原市内のデイサービスセンターで准看護師として働き、郡市町駅伝には那須塩原市のスタッフとして関わっています。中継所で選手の付き添いをしながら願うのは「自分の力を出し切ってほしい」ということ。誰にも言っていませんが、私もトレーニングを再開して、ランナーとして出場したいという野望も持っています。

 あくつ・こうぞう 1960年那須町生まれ。中学卒業後、専修学校を経て日立製作所に入社。病院職員として働きながら、88年ソウル五輪男子1万メートルで日本人最高の14位。郡市町対抗駅伝には計24回エントリーした。那須塩原市在住。