東日本屈指の窯業地を形成する益子町と茨城県笠間市の「かさましこ~兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”~」が文化庁の日本遺産に認定されて今年で5年を迎えた。この節目を記念し来年1月、人間国宝濱田庄司(はまだしょうじ)ゆかりの益子町の濱田庄司記念益子参考館で、庄司が愛用した大登り窯に火を入れる「かさましこ登り窯プロジェクト」が行われる。

 大登り窯はこれまでも大きな節目で存在感を発揮してきた益子のシンボルである。プロジェクトでは、両市町の陶芸家計約100人が同時に窯焚(た)きをして一体感を醸成する。この機会に窯業の未来を改めて見つめ直し、「かさましこ」による観光振興に弾みを付けたい。

 戦前の1943年に築窯された大登り窯は幅約5メートル、全長約16メートルの大釜で、作品を入れる八つの部屋を持つ。庄司没後から館の展示品になっていたが、東日本大震災で被災。国内外からの寄付で復旧し2015年、庄司の孫で館長の陶芸家濱田友緒(はまだともお)さんらが中心となり「復活プロジェクト」として約40年ぶりに窯に火を入れた。18年にも実施されたが、以降は新型コロナ禍の影響もあり見送られてきた。

 プロジェクトには当初から笠間の陶芸家も数多く参加し、益子の陶芸家らとシンポジウムで語り合うなど窯業地の未来像を模索してきた。両市町による日本遺産は、こうした最中に誕生した。

 「かさましこ」は、複数の市町村にまたがって物語が展開する「シリアル型」の日本遺産である。それゆえ双方の緊密な連携が浸透の鍵となる。しかし成功への戦略は、市井の人々の間でしっかりと共有できているだろうか。

 認定直後の誘客事業がコロナ禍で十分な成果を挙げられなかった点は不運だった。だが人々の心の中にある「距離感」が、意識醸成や商品開発の足かせになっているとの指摘があるのも事実だ。既に確立された益子焼と笠間焼というブランドのはざまで、「かさましこ」をどう輝かせていくか。認定から5年が過ぎたこれからが正念場だろう。

 今回のプロジェクトは18年以来8年ぶりに両市町の陶芸家や観光関係者が集う一大イベントになる。庄司の大登り窯の下で気持ちを一つにし、いま一度、益子と笠間をつなぐストーリーに磨きをかけてほしい。積極的なプロモーションの仕掛け時である。