20年ぶり2度目のデフリンピックに挑む村野=10月中旬、宇都宮市

 還暦を迎えたベテランボウラーが2度目の大舞台に挑む。

 なぜ、20年ぶりの出場を果たせたのか-。「実は前回(2022年)のブラジル大会にも選ばれていた」と明かす。前回出場は2005年メルボルン(オーストラリア)大会。以降は代表から遠ざかったが、当時は再び大舞台に照準を合わせ、主要大会で好成績を残すなど好調だった。

 ところが22年に始まったロシアのウクライナ侵攻の影響で物価が高騰。会場が建設できずボウリング競技だけが中止となった。「ショックだった。一生懸命やってきたのに…」

 落胆から再び立ち上がらせたのが、デフリンピックの日本開催だった。

 「絶対に出たい」

 冷めかけた情熱に、火が付いた。投げ込む量を増やし、本格的な肉体改造にも励んだ。「(18年に)手術した右膝ともうまく付き合いながら。ダンベルも使って頑張っている」と胸を張る。努力は実り、23年の全日本デフボウリング選手権で初優勝。翌年も準優勝を果たし、年齢を重ねてもさらなる進化を証明した。

 競技と出合ったのは30代の頃。友人と観戦した関東ろう者体育大会で、トップボウラーの投球に衝撃を受けた。「すごい回転がかかって曲がって、ストライクを連発して。私にもできるかな、と」。生まれつき聴覚障害があった村野にとって、初めてスポーツが身近になった瞬間だった。

 メルボルン大会の記憶は今も色あせない。「初参加だったので、本当に緊張した。世界中の方々と交流して楽しかった」。本県所属、旧姓(福田(ふくだ))でのエントリーだった。メダルには届かなかったが、輝かしい思い出だ。

 目指すのは、感動体験を次世代に伝えること。「国内で開催する意味は大きい。『ボウリングってこんなに楽しいんだ』と多くの人に感じてもらえれば」。年齢的にも「最後の挑戦」と位置づける集大成の大会が、幕を開ける。

 【プロフィル】 1965年生まれ。宇都宮市出身。2009年、結婚を機に横浜市へ移住。初出場だった05年メルボルン大会は女子トリオで8位、同団体で6位。神奈川県聴覚障害者連盟所属。