市貝町の赤羽地区にある入野家住宅は、幕末に建てられた大きなお屋敷で、今もその姿をよく残しています。地域のまとめ役だった入野家は、飢餓に苦しむ村民を助けるためにこの屋敷を建てたそうです。

 入野家はもともと武士でしたが、江戸時代初期からは代々名主を務めた大きな農家でした。1830年代、大凶作で作物がとれず、飢餓などにより全国で20万人以上の死者が出た天保の大飢饉が起こりました。地域にも困窮する人たちが多かったため、入野家は住民にコメを分け、代わりに家の建設を手伝ってもらう救済事業を行います。

幕末の大型民家として保存状態が良い入野家住宅主屋
幕末の大型民家として保存状態が良い入野家住宅主屋

 そうして1836~41年の5年をかけ、入野家住宅の主屋が完成しました。主屋は一部2階建て、屋根はかやぶき寄せ棟造りで、建築面積は約245平方メートル。建物を上から見ると、棟が2回折れ曲がる形をしています。宇都宮市の岡本家住宅(国重要文化財)と同じで、宇都宮周辺の民家によく見られる特徴的な形です。