「せめて赤飯でも作るかね」。1945年10月1日朝、当時12歳だった藤原和子(ふじわらかずこ)さん(92)=長野県安曇野市=は、母ふみゑさん(故人)とそんな話をしていた。満州(現中国東北部)のハルビンに近い第8次張家屯信濃村開拓団の本部集落。団の祭りの日に当たっていたが、同年8月のソ連軍侵攻と日本の敗戦でそれどころではなかった。
すると突然、空気を切り裂く音とともに銃弾が飛び込んできた。「満人」と呼んでいた現地民による襲撃だった。開拓団が土地を安く買いたたくなどしたため、日本人に反感を持つ人も多かった。
藤原さんは5歳の弟を背負って林に逃げ込んだ。「泣いちゃだめだよ」。気付かれないよう小さなお尻をぽんぽんたたいて言い聞かせた。逃げ惑う中、親に捨てられた赤ちゃんの泣き声を聞いた。子どもの首を帯で絞める女性も目にした。乳飲み子だった末の弟亘(わたる)ちゃんを背負った母は諦めたように座り込んだ。
残り:約 1103文字/全文:1518文字
この記事は「下野新聞デジタル」の
スタンダードプラン会員・愛読者(併読)プラン会員・フル(単独)プラン会員
のみご覧いただけます。
下野新聞デジタルに会員登録すると…
- 事件事故や高校野球・イベントなど速報でとちぎの「今」が分かる
さらにスタンダードプランなら…
- デジタル有料記事の大半が読める
- 教育や仕事に役立つ情報が充実
愛読者・フルプランなら…
- アプリも使えて、おくやみ情報もいち早く