世界を飛び回るピアニストの藤田真央が、慌ただしくも充実した日々をつづった新刊『指先から旅をする2』(文芸春秋・2970円)は、2023年に刊行され話題となったエッセー集の続編だ。
2023年8月から2024年12月にかけ、ヨーロッパや北米、中国、韓国、台湾などを巡るコンサート旅行の様子を、藤田のチャーミングな写真と共に収めた。
タイトなスケジュールでトラブルは日常茶飯事。客席がすかすかで寂しい日もあれば、観客同士がけんかを起こす日もある。
ホールによって響きが違うのはもちろん、ピアノをどこに置くかでも響き方は変わってくる。イタリア・フェラーラの劇場では、床板が傾いたステージで、薄い木片をピアノの脚の下に挟んでバランスを取って鍵盤と向き合った。だが、仙人のような風貌の調律師が調整したその音色は驚くほど美しかったというから、驚かされる。第1音、第2音、第3音…。藤田の指と心、場の空気、そして共演者たちが互いに作用し合いながら音が変化していく、その様子はスリリングだ。
ピアニスト本人の精神も日々移ろいゆく。「向かうところ敵なし」の精神状態で全て「望み通りの音色で弾くことができる」という日もあれば、思わず音の加減を間違えて、モヤモヤしたままコンサートを終えたりする日も。そんな揺れ動きを、藤田はユーモアを忘れずに軽やかに記す。
タフな日々を支えるのは食のようだ。スイス・アルプスで開催されるヴェルビエ音楽祭ではミルクシェイクの店に通い詰め、ベルリンのスーパーで見つけたシシトウに歓喜してオーブンで焼いて遠い故郷を思う。レコーディングスタッフにアップルパイを焼いて振る舞うことも。ヨーロッパを拠点とするせいか、アジアツアーでは「吉野家」に狂喜。公演前にカツカレー丼、牛丼、豚丼まで平らげたとさらりと記して驚かせる。
今を時めくピアニストのイム・ユンチャンとの邂逅。藤田が2位に輝いた2019年のチャイコフスキー国際コンクールで1位だった「戦友」のピアニスト、アレクサンドル・カントロフが弾いたバッハ=ブラームス編曲の「シャコンヌ」に感じたエネルギー。「ベルリンのパパ」と慕う指揮者の山田和樹と共演したベートーベンの「ピアノ協奏曲第三番」では、漫才のように山田の指揮にあえてワンテンポ遅れた「ツッコミ」で返したりと、ステージ上での当意即妙のやりとりを明かす。
憧れの指揮者セミヨン・ビシュコフとはチェコ・フィルハーモニー管弦楽団のアジアツアーで共演し、その後はミュンヘン放送交響楽団の定期演奏会でも共演。当初の緊張がほぐれていく様子はほほえましく、やがてビシュコフは藤田を「My beautiful kid」と呼んで慈愛に満ちた表情を見せる。
スター街道を歩いている訳ではないと謙遜する藤田。ふと舞い込む代役も逃さず果敢に挑戦し、クラシック界での信頼を積み重ねていく。一人のピアニストが青年から大人になっていく、成長譚を読むような味わいの一冊だ。(共同通信=森原龍介)