強制疎開とマラリアに苦しんだ日々を語る波照間シゲさん=3月26日、沖縄県竹富町波照間島の自宅、崎山拓真撮影

西表島南風見を望む高台に建立された波照間島戦争マラリア犠牲者戦没者慰霊之碑=3月26日、沖縄県竹富町波照間島、崎山拓真撮影

強制疎開とマラリアに苦しんだ日々を語る波照間シゲさん=3月26日、沖縄県竹富町波照間島の自宅、崎山拓真撮影 西表島南風見を望む高台に建立された波照間島戦争マラリア犠牲者戦没者慰霊之碑=3月26日、沖縄県竹富町波照間島、崎山拓真撮影

 「島の住民は一人残らず西表島に疎開せよ。反対する者は切り捨てる」

 1945年4月8日、それまで優しかった「山下先生」が豹変した。軍刀を振り回し、波照間島の全住民にマラリア有病地の西表島南風見(いりおもてじまはいみ)地区への疎開を命じたのだ。

 山下虎雄(やましたとらお)は陸軍中野学校出身の離島残置工作員。本名(酒井喜代輔(さかいきよすけ))と身分を秘匿して青年学校の指導員をしていたが、この日を境に軍曹になった。

 波照間(はてるま)シゲさん(87)は当時7歳だった。