戦後79年目の「広島原爆の日」を間もなく迎える。1945年8月6日。広島に1発の原子爆弾が投下された。街は一瞬にして破壊され、その年の末までに約14万人の命が奪われた。14歳で被爆した広島市、山本定男(やまもとさだお)さん(93)は、被爆体験を語り続けてきた一人だ。「核兵器の廃絶を世界中の世論にしないといけない」。そう語気を強める。
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7月下旬に始まった広島市主催の国内ジャーナリスト研修「ヒロシマ講座」の一環で、山本さんは全国の地方紙記者らに、被爆当時の体験や平和に向けた核兵器廃絶への思いを語った。
当時、広島県立第二中(現県立広島観音高)では、1、2年生が1日交代で授業と建物疎開の作業を行っていた。動員されていたのは爆心地から約500メートルの広島市中心部だった。
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