「KAGAMI」の上演風景=2023年、ニューヨーク(via Tin Drum)

 坂本龍一(Photo by Neo Sora(c)2022 KAB Inc.)

 トッド・エッカート(Photo by Rachel Louise Brown)

 「Ryuichi Sakamoto & Tin Drum KAGAMI+」

 「KAGAMI」の上演風景=2026年、香港(via Tin Drum)

 「KAGAMI」の上演風景=2023年、ニューヨーク(via Tin Drum)  坂本龍一(Photo by Neo Sora(c)2022 KAB Inc.)  トッド・エッカート(Photo by Rachel Louise Brown)  「Ryuichi Sakamoto & Tin Drum KAGAMI+」  「KAGAMI」の上演風景=2026年、香港(via Tin Drum)

 2023年に亡くなった音楽家、坂本龍一のピアノ演奏を48台のカメラで撮影し、3次元で再現する複合現実(MR)作品「Ryuichi Sakamoto & Tin Drum KAGAMI+」が2026年6月27日から10月12日まで、大阪市北区の「VS.(ヴイエス)」で上演される。2023年に初演され、ニューヨーク、ロンドンなど各地で好評を博した話題作が、ついに日本初上演となる。大阪以外での国内の上演予定は現時点ではなく、貴重な機会となりそうだ。海外では、ヘッドセットを付けた観客が立ち上がり、坂本に“触れられる”距離まで近づき、思い思いに演奏を体験したという。だが、その制作は「綱渡り」の連続だった。ガンの転移が分かり、余命宣告を受けた直後の坂本は、なぜこの作品に取り組んだのか。ディレクターを務めた、アメリカのMR制作集団「Tin Drum」を率いるトッド・エッカートがその舞台裏を明かす。(取材・文 共同通信=森原龍介)

(1)追悼の場ではなく

 「私が目指したのは、龍一が出会うことのなかった未来の観客と彼との間に新しい絆を築くこと。初演の前に亡くなるとは予想もしませんでしたが、このショーは追悼の場ではなく、龍一のアクティブでエネルギーに満ちあふれた演奏を表現するものにしたかった」

 現代アートの世界でさまざまなMR作品を手がけてきたトッドにとって、坂本龍一との仕事は念願だった。音楽ジャーナリストとしてキャリアを始めたトッドが初めて坂本作品に触れたのが1981年の『左うでの夢』。「過激」なレコードにすぐに夢中になった。以来、坂本の演奏にじかに触れ、個人的な友情も育んだ。

 10年前にMR作品を手がける会社を設立したトッド。「もし、音楽を聴く体験として永遠に残すためにどうしても記録しなければならない人物がいるとしたら、そのリストのトップは龍一でした」。同じようにMR作品を作りたいと考えていたデヴィッド・ボウイ、プリンスには間に合わなかった。「急いで取り組まなければならない理由があったのです」

(2)永遠に残るならグランドピアノで

 2014年に見つかった中咽頭がんは寛解したものの、2020年に直腸がんと診断された坂本。その年の12月に肝臓への転移が見つかり、「余命半年」の宣告を受けた。撮影はその余命宣告の直後、東京都内のスタジオで行われた。撮影時の坂本の様子を、トッドはこう振り返る。

 「普段は顔を上げて演奏している彼が、その日の大半は鍵盤の前でうつむいて演奏をしていた。いつまた演奏できるか分からないという思いからだったのではないだろうか」

 そのうつむいた姿勢が、さらなる困難を招いた。なぜなら、坂本がグランドピアノでの演奏にこだわったからだ。

 当初、トッドはキーボードを演奏する様子を撮影しようと考えていたという。演奏する坂本の顔を正面から撮影できるからだ。「グランドピアノでの演奏を収録するのははるかに困難だ」と、トッドは伝えた。だが坂本は「永遠に残るのなら、子どもの頃から深い関係をつむいできたグランドピアノでやりたい」と押し切った。

(3)ギリギリのタイミング

 グランドピアノは屋根や譜面台など障害物が多く、隠れてしまった演奏中の顔の3次元的なデータを後から再構築する必要がある。そのための新たなソフトウエアを開発する必要もあった。

 しかも3日間の撮影を終えた直後、坂本は入院した。再撮影はもちろんかなわない。「撮り終えた素材をどうにか生かす方法を見つけなければ」。トッドは追い詰められた。「責任は計り知れないし、常に綱渡りをしているような感覚になりました」

 坂本も並々ならぬ決意で撮影に臨んでいた。

 没後に刊行された著書『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(新潮社)によると、まだ病状を周囲に伝えていない時期。手術を控えた「ギリギリのタイミング」だったという。その一方で「未来永劫残るものなので、生半可な演奏はできません」ともつづっていた。

 トッドは、ニューヨークのアパートに坂本を招き「まだ生まれてもいない観客が、まるで演奏会の場にいるような感覚を味わえるようにすることに力を注ぎたい」と語ったと明かした。その思いに「龍一も深く共感してくれた」。

 そのためのアイデアが、演奏する坂本をぐるりと取り囲むようにして観客を配置するという仕掛けだ。「そうすれば、誰もが最高の席に座ることができる。テクノロジーを観客とアーティスト双方の利益のために活用できる」。力説すると、坂本は目を閉じて「それは素晴らしいね」とつぶやいたという。

(4)空間のどこに身を置くかも自由

 坂本の演奏する姿を収めた映像作品は数多い。だが、その多くは「伝統的な映像作品」だとトッドは指摘する。「監督が見るべき場面を次から次に指示していくようなものだ」と。

 一方で、演奏する姿を立体的な映像として再現した「KAGAMI」は、立ち上がるのも、近づくのも、あるいは遠ざかって眺めるのも自由。「空間のどこに身を置き、どうアーティストとつながるのかも、あなた次第。監督や演出家が望む体験ではなく、観客一人一人が望む体験を得られる」

 坂本も新しい技術に常に関心を持っていた。「龍一は、このMRの技術が、彼と観客との関係を永遠に広げていく可能性を秘めていることを理解してくれた」とトッドは強調する。「過去の成功よりも、未来にどんな素晴らしい可能性があるかということに関心を向けていたからこそ、MRに時間を費やす価値があると考えたのだと思います」

(5)坂本龍一と深くつながれるよう

 日本での上演は現時点では大阪のみを予定している。会場は安藤忠雄が設計監修をした「VS.」(グラングリーン大阪内)。高性能の音響・映像設備を完備したユニークな建築空間だ。「安藤忠雄が手がけた建築で坂本龍一作品を展示、上演できることは名誉なこと。まさに大阪でこの作品を上演するためのあらゆる要素が完璧に調和していた」

 「KAGAMI」のタイトルは、坂本とトッドが共に敬愛する映画監督タルコフスキーの作品に由来する。

 完成を前に、坂本は亡くなったが、上演内容は変えなかった。「素晴らしいアートがまさに生まれる瞬間を共に祝福できることが、MRという技術の持つ力。龍一と皆さんが可能な限り深くつながれるように力を注ぎました。人生をより深く、豊かなものにする芸術をぜひ体験してほしい」

(6)その時人類はいるだろうか?

 坂本はこんなコメントを残している。

 現実の中にヴァーチャルな僕がいる。

 ヴァーチャルな僕は歳をとらずに、何年、何十年、何百年とピアノを弾き続ける。

 その時人類はいるだろうか?

 人類の次に地球を征服するイカが聴いてくれるのだろうか?

 彼らにとってピアノとは?

 音楽とは?

 そこに共感は成立するのだろうか?

 何十万年の時を跨ぐ共感が。

 ああ、だけどそれまで電池がもたないな。

 坂本龍一

【チケット】

・「KAGAMI」の60分版を鑑賞できる「RED TICKET」は1万5千円。

・30分の体験版を鑑賞できる「BLUE TICKET」は4500円。

(いずれも日時指定)