
3月11日は「東日本大震災から15年」の節目の日だった。当時、県内の日本酒蔵でも多くが蔵建物や設備を被災した。大きな被害を受けながらも、それを機に経営改革に乗り出した「天鷹」の天鷹酒造(大田原市蛭畑、尾崎宗範(おざきむねのり)社長)、再び世界一の酒造りを目指した「澤姫」の井上清吉商店(宇都宮市白沢町、井上裕史(いのうえひろし)社長)の「15年」を振り返り、進化する栃木の日本酒を考えた。
天鷹酒造は土蔵の仕込み蔵、大谷石の貯蔵庫などが大きく壊れ、2期に分けた2年がかりの工事で醸造蔵全体を建て替えるなど、大きな試練に見舞われた。BCP(事業継続計画)策定までは体力的になかなか取り組めなかったというが、尾崎社長は大震災を機に課題だった経営改革に着手することができ、新たな天鷹酒造の再スタートにつなげられたと振り返る。
東日本大震災では、1914(大正3)年創業当初の土蔵の仕込み蔵(287平方メートル)が礎石からずれた。昭和初期の大谷石造りの貯蔵庫(254平方メートル)が外から支える大谷石壁の「控え」が割れ、屋根が外れてタンクの上に落ちた。
仕込み蔵には6千リットルのホーロータンクが約20本あったが、3、4本は礎石から外れて大きく傾いた。幸い、隣のタンク、柱、足場に当たり、倒れることはなかったが、大きく揺れた醪(もろみ)は天井にまで飛び散っていたという。衝撃でホーローが剥がれるなど廃棄せざるを得ないタンクもあった。
商品倉庫も重ねてあった商品が崩れ、約800本(約1550リットル)が割れ、約千本が傷んだ。3月11日は酒造りの終盤に差し掛かっており、何とかお酒の販売につなげられ、致命的な損害は免れたという。
蔵は洗米場、麹(こうじ)室など含め約1580平方メートルを全面的に建て替えた。2年間の工事と並行し、長年手つかずになっていたさまざま課題の解決に乗り出した。
酒造りは寒仕込みの冬季は季節雇用に頼っていたが、全員正社員という雇用形態に思い切って変えた。秋口から春までの「三季醸造」に耐えられるよう改革するためだ。また、一つの仕事を複数人がこなせるようにしたり、杜氏(とうじ)も複数置けるよう人材を育成したりし、ローテーションで休みを取れるようにした。尾崎社長は「以前は寒仕込みの間、正月三が日しか休めないというような状況でした。もうそんな時代ではなくなっていた」と説明する。
また次代の天鷹酒造を見据え、「有機米による酒造り」に取り組んでいたため、建て替えでは製造工程を一般酒と厳密に区分。配管も有機に対応できるようにして信頼性を高めた。手間のかかる有機米生産自体を永続的に取り組めるよう自社で農地所有適格法人も設立し、酒造りの社員が稲作に従事する。2018年には社員の自由な発想を生かす新ブランド「九尾」を立ち上げた。九尾で反響のあったものは主力の「天鷹」に取り入れられるようにした。
尾崎社長は「BCPとはいかないが、普段から取引先を大切にし、いざという時に協力を得られるようにすることが重要」と話し、「震災を機に課題だったものが思い切って進められた」と振り返った。
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宇都宮市白沢地区は震度6強で、市内でも揺れが激しかった。井上清吉商店は、酒蔵の象徴でもある高さ約15メートルのコンクリート製煙突が傾いて一部崩壊。米を蒸かす釜場が使えなくなった。このため米を蒸す工程は、「四季桜」の宇都宮酒造にしばらく協力をお願いして何とか醸造を続けたという。
酒を貯蔵していた土造蔵の壁も崩れ、周囲の田んぼが見えるようになった。土壁は造ったばかりの特別純米酒タンク内に落ち、約20本のタンクも傾いた。井上社長「建物自体が大規模半壊とされ、立ち入りできなった」と当時を語る。
一番悔やまれたのは、前年にロンドンで開かれた世界最大級のコンテスト「インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)」SAKE(サケ)部門でナンバーワンのチャンピオンを受賞した恩恵を受けられなかったことだ。
受賞後、大吟醸の在庫はあっという間になくなり、国内外から入った数多くのオーダーは寒仕込み後、新酒ができる翌年3月まで待ってもらっていた。そこを震災に見舞われた。瓶詰めした多くの商品が割れたり、傷ついたりし、しかも東京電力福島第1原発事故の放射能の影響で出荷にストップがかかった。また、チャンピオン蔵には、国内外から多くのファンが押し寄せるが、ファンを受け入れるような状態ではなかった。
「特にうちの商品は、米も栃木県産にこだわっているので、本当に大丈夫なのかと言われ、一番のチャンスだった輸出はほぼキャンセルでした」。体制的にも輸出に対応できるようになったのは、14年まで待たなくてはならなかった。
震災を機にリスク低減を図った。大きなタンクで2400キロの原料米を使ってよく行った大仕込みの在り方を最大800キロの小さな仕込みに切り替えるなど、さまざまなリスクに対応できるようにした。「課題はいろいろあったが、品質をよくする方向に特化して変えた」という。
そして22年、IWCで2度目のチャンピオンに輝く。「われわれのような小さな蔵が2回チャンピオンになったことは奇跡に近い。震災であれだけ被害を受けた蔵が2回取るということは普通に考えたら難しい」と述懐。「1回目が被災であのようだったので、あの華やかな舞台にもう一度行ってやるというエネルギーで取り組んだ。12年かかったが、2度目を取れ、うれしかった。お客さんも蔵にたくさん来てくれたし、輸出が月によっては出荷の40%に上るなど受賞の影響は計り知れない」と話す。
1回目、2回目とも自家井戸水、栃木産の酒米と酵母という徹底して栃木県にこだわった酒だ。震災の時、(海外バイヤーから)澤姫さん本当に栃木の米は安心なのか、今後も栃木の米でやっていくのかと問われ、「イエスと返事した」という。「僕らが地元と寄り添ってやっていくことが最大の復興支援。安心だということを伝えた上でお酒を出していく、2回目のチャンピオン受賞はそれが証明されたと思っている」と地元追求の姿勢を強調する。
「われわれが栃木県の酒米の価値を上げてやれば、それこそ県外の酒蔵も栃木の酒米をほしいということになり、栃木の農業がよみがえるのではないか。その米で最高の酒を造り、栃木の米の素晴らしさ、価値を上げたい」。栃木県酒造好適米「夢ささら」で3度目のチャンピオンを狙う。
新型コロナウイルス禍に続き、全ての物が値上りする物価高騰、そしてホルムズ海峡封鎖によるエネルギー暴騰…。お酒を取り巻く経営環境はある面、大震災時より厳しいかもしれない。それを乗り越える革新なり、進化を期待したい。
(伊藤一之)

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