2024年の夏に胃がん手術をした夫は、ずっとトマト栽培を休んでいました。秋に肝臓に転移がわかり、2025年シーズンも休むのかなと思っていたのですが…。

 「トマトを作りたい。少しでもいいから」

 夫は抗がん剤の副作用で、常に手足がしびれていました。トマト栽培は、誘引の際の紐結びや、脇芽取り、収穫など、細かく手先を使います。現在の人手は、夫と私だけ。

 万が一の場合は、トマト素人の私しかいないんだから、その時は諦めてねと同意をもらい、ミニトマトの苗を植えることになりました。2種類のミニトマトを、2回に分けて植えます。 1回目は2025年のお盆のころ、2回目は同じく8月下旬でした。

 7月ごろから事前準備を始め、放置してあったハウスの整理をしたり土壌消毒をしたり、夫は久々の農作業が楽しそうでした。しかし、1年間放置していたからか機械類の調子が悪く、トマトに水を与える「灌水(かんすい)」の装置も不安定でした。

 それでも、なんとかやっていけるだろうと思っていたのですが…。

 8月上旬。肺が感染症を起こし、そのまま膿胸という肺に膿がたまる病気になってしまったのです。

 息苦しく咳が止まらなくて、とても苗を植えられる状態ではなく、とりあえず2回とも私が植えて作業を済ませました。

 夫の症状は悪化し、入院することに。手術も含め、入院はしばらくかかるだろうとのこと。

 「トマトは諦めていいから」

 私が病室から出るとき、夫はそう言いました。

 でも、トマトがダメになったら夫の心は折れてしまうかもしれない。

 病院の帰りにビニールハウスに寄ってみたら、灌水装置は動いていて、トマトたちは生きていました。

 私は決めたのです。できる限り、私だけでトマトたちの面倒をみようと。

 ただし、私が夫のトマト栽培を手伝ったのは結婚後2~3年の間のみ。あまりにも不器用なので夫が諦め、「配達だけしてくれればいいから」と、その後はノータッチだったのです。

 「できるかな」と不安だったのですが、いざ道具を手に取ると感覚が蘇ってきて、割とスムーズにできて、我ながら驚きでした。

 私としては、「10月くらいに実がなるだろうから1~2回収穫できれば、トマトの人生というか『トマト生』も全うでき、夫も満足してくれるだろうから、そこまでにしよう」と思っていたのです。

 ところが、いざ収穫してみたら甘くておいしい。

 糖度を計ってみたら、一昨年に夫が作ったトマトより甘いのです。

 食事制限はなかったので、病室に持参したら夫も「合格点」と太鼓判。

初めてトマトの実が色づいたときは感動で泣きました
初めてトマトの実が色づいたときは感動で泣きました

 こうなると欲が出てきてしまって、「とりあえず、暖房の重油が尽きるまで育てる」ということに。

 夫の肺が治癒するまで1か月かかりましたが、その間は抗がん剤が使えないということでストップしていました。結果として、がんは進行していったのです。

 そして10月上旬。

 「がんが肝臓に広がりすぎて、もう抗がん剤は使用できません。これからは緩和ケアの段階に入ります。余命は年内だと思ってください」

 担当医師からの余命宣告でした。

 そして、ハウスの中のトマトにも異変が生じていました。

 ダニのせいで、次々に葉が枯れ始めたのです。

 消毒をすれば防げたのですが、私は消毒作業の経験がなく、薬品を扱う怖さもあり、今までしていなかったのです。

 枯れたらそこまでだなと思っていたのですが…。

 そのトマトの姿が、がんに覆われていく夫の肝臓と重なったのです。

 やろう、消毒。

 ネットで調べ、農家の店で薬剤を買って動画で調べ、ひとりで消毒を始めました。

 夫と一緒に観た映画「はたらく細胞」を思い出し、気分はがん細胞をやっつけるキラーT細胞。

 トマトは回復していったものの、夫は日一日と状態が悪くなっていきました。

 12月上旬、最後の入院に。それでも、看取りは自宅を希望していたので、病院と調整し、退院日を決めました。

たくさん収獲できるときもありましたが、基本的に売らずに、すべて差し上げてしまいました
たくさん収獲できるときもありましたが、基本的に売らずに、すべて差し上げてしまいました
トマトは小売りせず、知り合いのレストラン等に持参して料理にしてもらっていました
トマトは小売りせず、知り合いのレストラン等に持参して料理にしてもらっていました

 明日は退院。とうとう、病院からの呼び出しは一度もなかったなと思いながら眠りについた翌朝の3時15分。

 病院からの電話で目が覚めました。慌てて出ると、看護師さんは落ち着いた口調でこう言ったのです。

 「旦那さんが呼んでます。来てください」