あさま山荘に設置された殉職警察官の祭壇を訪れた牟田泰子さん(右)と夫の郁男さん=1972年3月、長野県・軽井沢

 1972年2月、長野県軽井沢町で発生した「あさま山荘事件」で、連合赤軍の武装メンバーが唯一人質に取った管理人の牟田泰子(むた・やすこ)さんが13日、老衰のため同県小諸市の老人ホームで死去したことが17日、分かった。85歳。葬儀は18日、近親者のみで行う。福岡県出身。喪主は夫郁男(いくお)さん。

 72年2月19日に発生した事件で、河合楽器の保養所だったあさま山荘に猟銃や手製爆弾を持って侵入した連合赤軍メンバー5人に人質に取られた。立てこもりは10日間に及び、救出された。同28日に警察が強行突入した際に警察官2人が死亡し、突入前に民間人1人も犠牲になった。