太平洋戦争中の1944年10月、米軍が沖縄県を中心に爆撃し600人以上が犠牲になった「10・10空襲」から81年となるのを前に、被害が大きかった那覇市で4日、追悼式が営まれた。約220人が参列し、沖縄戦で家族5人を失った照屋苗子さん(89)は「悲惨で地獄のような体験を忘れることはない。戦争は人の心までも奪う」と語り、不戦と平和を誓った。
10・10空襲で、那覇市の大部分が焼失。米軍は半年ほどたった45年3月に慶良間諸島、4月には本島に上陸し、沖縄での地上戦へとつながっていった。
照屋さんは「那覇は火の海で、大変だと思った」と当時の様子を振り返り、不安げに話した。
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