1974年10月、引退セレモニーで花束を手にファンにあいさつする巨人の長嶋茂雄選手=後楽園球場

 「花と緑の農芸財団」の機関誌「花の心」

 1974年10月、引退セレモニーで花束を手にファンにあいさつする巨人の長嶋茂雄選手=後楽園球場  「花と緑の農芸財団」の機関誌「花の心」

 現役時代、その人気から「ヒマワリ」とも称されたプロ野球元巨人の故長嶋茂雄さんは、花を愛した人でもあった。1992年に2度目の監督に就任するまでの約7年間、公益財団法人「花と緑の農芸財団」(千葉県芝山町)の初代理事長として、花の普及や振興に取り組んだ。船津裕隆専務理事は「財団の礎を築いた長嶋さんの思いを途絶えさせてはいけない」と誓う。

 「ユニホームを着ていた頃は随分花になぐさめられ、励まされ、勇気づけられました」。財団の機関誌で歌手の加藤登紀子さんと対談した際、長嶋さんはそう述懐した。監督になってからも、球場の監督室には毎日違う花が飾られたという逸話がある。

 小学校に苗を贈る「花の輪運動」、若者が花の生産や農業を通して自然の豊かさを学ぶ「農芸塾」に積極的に出席した。

 財団が協力し88年に兵庫県で初開催された「全国健康福祉祭(ねんりんピック)」の開会式でのあいさつで「花は人の心に安らぎを与え、人の輪をつなげる」と訴えた長嶋さん。

 92年に監督に再登板してからも、名誉理事として活動を見守り続けた。