時の流れは本当に速いもので、前回の連載から気付けば早くもひと月が過ぎました。7月から「ピアノの森」ツアーで全国を巡ってきましたが、それも9月半ばで閉幕です。振り返ってみれば、あっという間のひと夏でした。
ピアニストとして舞台に立ち、音楽をお届けできることは、何よりの生きがいであると感じています。ただ、私のこれまでの演奏家人生を語るには、時計の針を少し過去へと戻す必要がありそうです。
前回の連載でも触れましたが、現在所属しているイープラスとのご縁は、私にとって本当に大きなものでした。それまでは両親が実質的にマネジメントを担い、演奏会の企画から運営まで支えてくれていました。10代、それもわずか12歳の頃から、定期的に自主公演という形でリサイタルを開かせてもらえたのは、信じられないほど恵まれた経験であり、両親には感謝してもしきれません。
それでも、いわゆる事務所に所属するということは、より大きな世界へと羽ばたくために必要だと強く感じていました。20代半ばの私は、その環境を切望していたのです。そんな中でお声をかけてくださったのがイープラスでした。以来、自分のやりたいことや進むべき方向を密に話し合いながら、多くの演奏の場を与えていただいています。
私の演奏は「ソロリサイタル」「室内楽」「協奏曲」の3本柱によって支えられています。今ではありがたいことに、いずれの形でも演奏させていただく機会を頂戴していますが、とりわけ室内楽を語る上で欠かせない人がいます。それがバイオリニストの三浦文彰さんです。
私は普通高校を卒業してから渡欧したため、日本に音楽家の友人がほとんどおらず、特に室内楽は横のつながりがあって初めて成立するものなので、強い興味と愛情を持ちながらも公演に結びつけることができずにいました。そんな中で出会ったのが三浦さんでした。
彼は同世代でありながら、16歳の時にハノーバー国際バイオリンコンクールで優勝し、世界のひのき舞台に立っていた憧れの存在。私が16歳の時にウィーンで初めてお会いした時から、まさにスーパースターのオーラを放っていました。いつか一緒に演奏してみたいと心の中で思いながらも、そんな言葉を本人に伝えられるはずもなく、近くにいても遠くに感じる存在だったのです。
そんな三浦さんから突然、一通の連絡が届きます。
「日本ツアーを予定しているのですが、共演するピアニストがコロナ禍で来日できなくなってしまった。予定は空いていますか?」
そのメールをウィーンの自宅で受け取った日のことは、今でも鮮明に覚えています。胸が高鳴り、まさに天にも昇る心地でした。ここから三浦さんとの共演が始まり、それ以来、数多くの舞台をご一緒させていただいています。
三浦さんの音楽は、作曲家と楽譜への深い敬意に裏打ちされた自然な解釈と、比類なき音の美しさに貫かれています。彼の演奏に触れるたびに、音こそが楽器にとって魂の軸であることを痛感します。
演奏の現場だけでなく、プライベートでも楽しい思い出が尽きません。好きな音源を聴きながら音楽談議に花を咲かせ、何度も朝まで飲み明かしました。バイオリニストとしてはもちろん、指揮者としても驚くべき名演を繰り広げる三浦さんを、私はこれからもずっと尊敬し続けると思います。
室内楽や協奏曲のように、誰かと音楽の喜びを分かち合う時間は、何にも代え難い尊いものです。でもピアニストという生き方を選んだ以上、リサイタルでは必然的に一人で舞台に立たなくてはなりません。そこには「孤独」という言葉が似合うかもしれません。舞台上にいるのは自分とピアノだけ―。
それでも私は、この“一人きり”のリサイタルを心から愛しています。作曲家と作品がそこに在る限り、私は決して孤独ではありません。そして、客席にはお客さまがいらっしゃる。その存在がある限り、一人ではないのです。
今の私にとって、演奏活動と並んで人生の礎となっているのが教育活動です。ご縁を頂き、2023年から京都市立芸術大学で講師として10人の門下生にピアノを指導しています。
大学に赴任する前は、大いに悩みました。母がピアノ教師をしていたため「教える」という行為は身近なものでしたが、それでも自分が大学で教えることが果たしてできるのか、学生たちの人生に責任を負えるのか、演奏活動と両立できるのか、両立しようとしてどちらも中途半端になってしまうんじゃないか…。そのような迷いが頭から離れませんでした。
そんな時、多くの方々が親身になって相談に乗ってくださり、背中を押していただいたことで、ようやく気持ちを固めることができました。お声がけいただいたこと自体がこの上なく名誉なことであり、今では大切なご縁に心から感謝しています。
実際に教壇に立ってみると、大学での指導は自分にとって大きな生きがいとなりました。学生たちはまさに人生の最も貴重な時間の真っただ中にいます。その道のりを、音楽を通じて共に歩めることは私にとって何より特別な喜びです。
そして実際に教えてみると気付くのです。教えることは、同時に自分が学んでいることでもあるのだと。先生方から授かってきた教えを心の中で反すうしながら学生に伝える時、まるで時空を超えて先生がそばに立ってくれて「もっと楽譜を読み込みなさい」と声をかけてくださっているように思えるのです。
これまで出会った先生方との貴重な時間を通じて、私はまるで黄金のバトンを受け継ぐように、数え切れないほどの大切な金言と教えを授かってまいりました。数百年にわたり継承されてきた音楽の伝統と歴史を未来へとつないでいく上で、このバトンをしっかりと受け継ぎ、次の時代へと託していくことこそが、最も尊い営みであると感じています。やがて彼らが、さらに次の世代へとバトンを手渡していってくれるならば、クラシック音楽は決して絶えることなく、脈々と生き続けていくのであると、私は確信しています。
もちろん、以前と比べて自分の時間は大きく減りました。しかしそれ以上に、学生たちの成長に寄与できる喜びや、教授陣の温かい輪の中で過ごす大学生活の居心地の良さはかけがえのないものです。千葉、ウィーンに続いて、京都は私にとって「第三の故郷」になりつつあると感じています。
「あなたの夢はなんですか」
この質問を、人生の中で何度も投げかけられてきた気がします。幼い頃は「それを目標に生きなさい」という励ましの意味で、最近では「今どんな夢を胸に活動しているの?」と、少し現実的な視点で尋ねられることが増えました。
恥ずかしい話ですが、小さい頃の私は「歴史上最高のピアニストになりたいです」と答えていました。怖いもの知らずとは恐ろしいもので、今思い返すと背筋が凍るような気がします。
では、今の夢は何か。実はあまり変わっていなくて、「日本を世界最大のクラシック大国にしたい」という大言壮語な夢を胸に抱いています。
演奏と教育、そのどちらもがこの夢につながる活動であり、微力ながら日本のクラシック界に寄与したいという思いが日に日に強くなっています。そして幸いなことに、今のクラシック界には信頼できる心強い友人や先輩、後輩の方々が数多くいて、それぞれが信念を持って音楽に向き合っています。その存在があるからこそ、この夢も決してかりそめではなく、現実として近づいていけるのだと感じています。
そして、もうひとつの夢はとてもシンプルです。とにかくピアノがうまくなりたい。
ピアノ曲は幸か不幸か、いや、限りなく「幸」寄りですが、あまりにもレパートリーが膨大です。人生がいくらあっても全曲は弾ききれない。それでも「あの曲を学びたい」「この曲を勉強しなくては」という思いが尽きることはなく、頭の中にはすでに向こう数年分のリサイタルプログラムが並んでいます。
夢は大きく、でも日々の努力は一歩一歩。その繰り返しが、今の私の生きる道になっています。
この夢や願いを抱き続ける私の土台には、父の言葉があります。
「人生を自分だけのものにせず、社会に何かを残す、そんな人生を歩めるといいね」。父のこの言葉は、今も変わらず私の心に息づいています。夢をもち、努力を重ね、人や社会とつながること。父の教えは、私の生き方の軸であり、道しるべとなっています。
3回にわたる連載をお読みいただき、ありがとうございました。
大人になってから長い文章を書く機会はあまりなかったのですが、こうして文字を紡ぐ時間は、自分を静かに見つめ直すひとときとなりました。同時に、これまでの人生がいかに多くの方々との大切な縁によって彩られていたかを、改めて感じることができました。出会ってきたすべての方々に心から感謝申し上げたい気持ちでいっぱいです。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。またどこかで、願わくば演奏会の場で、皆さまとお会いできる日を楽しみにしております。
皆さまが、音楽に彩られたすてきな日々をお過ごしになられますよう、心から祈っております!(ピアニスト)
☆たかぎ・りょうま 1992年千葉市生まれ。グリーグ国際ピアノコンクールなど数々の国際コンクールで優勝。アニメ「ピアノの森」(NHK総合)では主人公の親友、雨宮修平の演奏を担当した。「ピアノの森」コンサートを各地で開催するなど、多彩な活動を続ける。
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「クレッシェンド!」は、若手実力派ピアニストが次々と登場して活気づく日本のクラシック音楽界を中心に、ピアノの魅力を伝える共同通信の特集企画です。