その昔、映画はスターを見にいくものだった。さまざまな役を演じ分け、見事な演技を見せる「名優」とは違う。「スター」とは、その俳優が持つイメージを磨き上げることでスクリーンで輝きを放つ唯一無二の存在である。
ジェームズ・ディーンは悩める若者を、マリリン・モンローはセクシーな金髪美女を、ジョン・ウェインはマッチョな米国の象徴を演じて、ファンの期待に応えた。よきにつけあしきにつけ、似たような役を演じ続けるのはスターの宿命だろう。
日本で言えば高倉健。理不尽な仕打ちに耐えた末に復讐を果たす任☆(人ベンに峡の旧字体のツクリ)ものから、晩年の寡黙で実直な初老の男性まで、これぞ高倉健というイメージを貫いた。「なにをやってもキムタク」とやゆされがちな木村拓哉も、それこそがスターの資格を有していると言えなくもない。
今、俳優の名前で映画を見に行くことがめっきり減った。ストーリーの面白さや設定の新しさ、人気漫画の映画化など、映画に引かれるフックがいろいろあるのはいいことだが、誰もが納得するスターが見当たらなくなったことが何より大きい。もはや世界にスターはいないのか―。
と思ったら、いた。トム・クルーズ、62歳。7月に63歳になるスーパースターだ。1996年に始まった人気シリーズ「ミッション:インポッシブル」の8作目となる「ファイナル・レコニング」で変わらぬ超人ぶりを発揮している。
テレビドラマ「スパイ大作戦」を基にスパイ組織IMFのエージェント、イーサン・ハント(クルーズ)の活躍を描く同シリーズ。今作は前作「デッドレコニング PART ONE」の続編で、ハントは人類を滅亡の危機に追い込む人工知能(AI)のエンティティ(文字数の関係か字幕では「それ」と表記されるのが少々興ざめ)に立ち向かう。
エンティティを制御するにはベーリング海の深海に沈んだロシアの潜水艦に残された装置が必要。潜水艦の場所が解明され、ハントは海深く潜って潜水艦に侵入、さらにはエンティティの側につく敵役が乗った複葉機を追って空を飛ぶ。危機に次ぐ危機だが、君には全人類の生存がかかっていると言われている手前、諦めるわけにはいかない。
エンティティをどうやって倒すかというストーリーラインがあり、2年ぶりの続編ということもあってその説明に前半の多くが費やされるが、正直ストーリーはあまり気にならない。何しろ観客が見たいのは、海で空で奮闘するクルーズのアクションなのだ。
海底では水圧でスピーディーな動きが失われるが、息詰まるような閉塞感と脱出できるかというスリル、そしてクルーズの鍛え抜かれた肉体が見どころ。空中では敵の複葉機にしがみついて乗り移り、相手とのファイトシーンをスタントなしで演じてみせる。「トムは飛行機の翼の上を歩きたいと言い、私は潜水艦のシーンをやりたいと言った」とクリストファー・マッカリー監督が振り返っているように、この二つの場面のために映画は作られたといっていい。
クルーズのアクションを見ていて思い出すのが、CGのない時代に体を張ってきた俳優たちだ。走る機関車の上で追いつ追われつの大チェイスを繰り広げるバスター・キートン。世界を股にかけてむちゃな冒険に挑むジャンポール・ベルモンド。そしてもちろん、落ちたり走ったり殴られたりしながらキレキレのカンフーを見せるジャッキー・チェン。クルーズは、正しく彼らの系譜に連なるアクション俳優だ。
静止していた写真が動くことで観客を驚かせたのが映画の原点だとすると、アクション=動くことが映画の魅力であることは間違いない。「ファイナル・レコニング」はAI対人間がテーマになっているが、CGやAIが幅をきかせる現代にあって、生身の肉体で勝負を挑むクルーズは、昔ながらの映画を守るために戦うスターだと言えるかもしれない。
「ミッション:インポッシブル」の第1作を改めて見直すと、クルーズが若いことは当然として、派手なアクションはもとよりスパイものとしてのサスペンス色が濃いことに気づく。作品を重ねるごとにスケールアップしてきたが、今作がシリーズの集大成だという。だがこの先がないとも言い切れない。孤軍奮闘するスターのミッションとして。(共同通信記者 加藤義久)
かとう・よしひさ 文化部で映画や文芸の担当をしました。エンティティに洗脳された敵と戦いながら「おまえはSNSの見過ぎなんだよ!」と言うハントのせりふに思わず笑いました。