機銃掃射と爆撃の音が忘れられない」と語る外山健一さん=1月10日、大分県別府市役所

度重なる空襲で破壊された大分海軍航空基地の建物=1946年2月、米戦略爆撃調査団撮影(豊の国宇佐市塾提供)

機銃掃射と爆撃の音が忘れられない」と語る外山健一さん=1月10日、大分県別府市役所 度重なる空襲で破壊された大分海軍航空基地の建物=1946年2月、米戦略爆撃調査団撮影(豊の国宇佐市塾提供)

 町で暮らす子どもに爆撃機が迫ってきた。

 1945年3月18日は日曜日だった。午前9時前、友達と遊ぼうと、大分市中心部の近くに住んでいた外山健一(とやまけんいち)さん(87)=大分県別府市馬場=は自宅から外に出た。

 「ブーン…」。うなるような低音を耳にし、空を見上げた。ずんぐりした灰色の飛行機が30機ほど、編隊を組んで向かってくる。大慌てで家へ戻り、庭の防空壕(ごう)に飛び込んだ。