毎年、下野新聞の正月紙面を飾る「新春しもつけ文芸」。下野新聞公式ウェブサイト「下野新聞デジタル」では「短編小説」部門で1位に選ばれた作品の全文を掲載する。

 

1位 「今まで、今、これから」 藤上一さん(福島)

 正月は小山のだるま市に、毎年くる。

 大学時代に小山を離れて二十年。両親も他界し、親族もなく、同級生との連絡も途絶えた。

 だが、だるま市だけは、習慣に残った。

 小山駅の西側ロータリーは、子供の頃の記憶と大きく形が変わっていない。乾いて冷たい風を感じながら、儀式のように、周辺の街並みを見る。

 ここ数年で店はずいぶんと変わった。居酒屋が閉店した。レストランが閉店した。マンションが建ったけれど、小さな空き地が増えた。

 駅前は相変わらず中途半端に空が広い。開放感があるほど広くはなく、閉塞(へいそく)感があるほど狭くはない。

 小さく変化しているのに、大きく変化がない。そこに少し安心する。

 駅を背にして、左へ進む。

 七階建てのロブレビル入り口を通り過ぎ、ロータリーの南側にあるカフェに入る。ランチには少し早い午前十一時、客はまばらだ。

 「お好きな席へどうぞ」

 にこやかな笑顔で、若い男性の店員が案内をしてくれる。このカフェも毎年来ているが、店員の顔は覚えていない。彼は去年もいたのだろうか。

 マガジンラックから、市役所が発行している広報誌を取って、一番奥の窓際席へ向かう。席は毎年そこを利用している。

 その席に思い出が積み重なっているためだ。

 友達と一緒に楽しく話した中学時代、進路を真剣に考えた高校時代、帰省して実家に帰る前に一息ついた大学時代、母の葬儀を終えて落ち着く時間を過ごした二十代後半、父の葬儀を終えて小山に親族が誰もいなくなったことに感慨を覚えた三十代前半。

 四十代を迎えても同じ席にいる。

 今がいつなのか、自分が何歳なのか。一瞬でも勘違いさせてくれる場所だ。席に着いて毎年お決まりの、オニオングラタンスープのセットを頼む。

 さっき手に取った広報誌を開く。一月号の広報誌は新春特別号で、特集が組まれていた。

 「今まで、今、これからの小山」と題したページには、過去の小山の写真、現在の小山の写真、未来の小山のイメージ図が並んでいる。

 パラパラとめくっていくうちに、一枚の写真に目がとまった。「小山の初市・だるま市」の古いカラー写真だ。一九九〇年代の様子と書いてある。小さな写真だが、見覚えのある人物が写っている気がした。

 「お待たせいたしました。オニオングラタンスープのセットです」

 写真を食い入るように見ていて、店員が近くにきていることに気づかず、びっくりした顔を向けてしまう。

 先ほどの若い店員はにこやかな笑顔を浮かべて、スープセットをテーブルに置いてくれる。少し恥ずかしい気分を覚えた。

 「その写真……」

 「え?」

 店員はテーブルに広げたままになっている広報誌のページを指さす。

 「お客様のご覧になっている広報小山の写真ですが、ロブレの六階で、写真展をしていますよ。そこのページにも書いてありますが……」

 ページの下部を見ると、確かに写真展開催の情報が書いてある。紙面の都合なのか、小さい記事だ。言われないと見落としていたかもしれない。

 「私も見に行きました。日ごろ自分が働いているこの店が、古い写真に写っていたんです。それで、大げさかもしれませんが、自分も歴史の一部なのかもと感じられて面白かったです」

 「歴史?」

 店員は少し照れたような笑顔を浮かべた。

 「そうなんですよ。学校の勉強で歴史とか全然興味なかったんですけれど……昔の写真に写っている人たちは、もういないかもしれないんですよね。そうしたら、私もいつか、いなくなるって思えて……。でも、この店があるなら、私も店の歴史の一部になるのかなって思って」

 「……そうかもね」

 「ぜひ行ってみてください。楽しいと思います」

 「うん、ありがとう」

 店員は笑顔で頷(うなず)いた。

 カフェで食事を終えて、向かい側のロブレビルに向かう。

 六階でエレベーターを降り、周囲を見ると、右手の生涯学習センター入り口に「今まで、今、これからの小山 写真展」の立て看板があった。

 写真展では写真がA2判くらいに引き延ばされ、展示されていた。入り口の注意書きを見ると、一部の写真は画像処理で鮮明化していることが書かれている。

 目当ての写真は入り口の傍にかかっていた。「一九九五年の初市・だるま市の様子」と題され、県道喜沢線と駅前通りの交差点から、駅方向に向かって撮影された一枚だ。

 「やっぱり……」

 写っていたのは、亡き両親だった。広報の写真は小さくて確信が持てなかったが、二人並んでだるまを物色している。

 画像処理のお陰で、微(かす)かに笑っている表情も見える。

 一九九五年なら、両親が買ってきただるまは、私の高校合格祈願のものだ。幸いなことに、その年の三月に目を入れることができた。

 家で受験勉強をしていた私は、この時両親と出かけていない。写真で見る彼らは、二人で相談しながら、だるまを選んでいるように見える。楽しかっただろうか。それとも子供の受験が心配だっただろうか。

 撮影禁止になっていなかったので、スマホを取り出して両親の姿を収めた。写真の中の二人は知らないことだが……

 母は十三年後にすい臓がんの発見が遅れ、五十六でこの世を去る。

 父は十八年後、定年後の再雇用先で心筋梗塞を起こし、六十四で亡くなる。

 それでも、二人が笑顔でだるまを選んでいることが、私は嬉(うれ)しかった。二人が穏やかに過ごしていた時間がそこにあった。

 駅前のロータリーに戻って、だるま市を歩く。

 たくさんのだるまが並んでいる。小さいだるま、中くらいのだるま、大きなだるま。階段状に並んでいる店もあれば、ブルーシートに並べただけの店もある。色も様々だ。

 私は高校受験の時に両親が買ってきてくれた、小さな赤いだるまを思い出して、よく似た小さい可愛(かわい)いだるまを買った。

 少し不機嫌そうな顔をしているけれど、ちょっと笑っている。不思議な表情をしただるまだ。

 いつまで来られるのか分からないけれど、また来年も来よう。そう思いながら、小山駅から電車に乗る。

 来年はたぶん、カフェの店員を憶(おぼ)えている。彼がまたいたらいいなと思いながら、だるまを撫(な)でた。

流れる=2024年12月3日朝、小山市城山町3丁目、河野光吉撮影
流れる=2024年12月3日朝、小山市城山町3丁目、河野光吉撮影