大田昌秀さん、田村洋三さんに聞く
太平洋戦争末期の沖縄で、県知事の島田叡(しまだあきら)と二人三脚で県民の疎開に尽力し、人々の命を救った宇都宮市出身の荒井退造(あらいたいぞう)。強い責任感で職務を全うし、命の尊さを説き続けた。その生き方は、没後70年の今なお人々を引きつける。沖縄戦に詳しい元同県知事の大田昌秀(おおたまさひで)さん(90)とノンフィクション作家田村洋三(たむらようぞう)さん(83)に、退造の功績や評価、今後への期待などを語ってもらった。
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■大恩人…広く顕彰を -元沖縄県知事 大田昌秀さん

荒井さんは沖縄の大恩人だ。周囲の反対にもひるまずに疎開を強行してくれたおかげで、多くの県民の命が救われた。荒井さんがいなければ、犠牲者数はさらに増えたはず。広く顕彰されてしかるべき人だ。
それなのに、島田知事と比べると知名度は低い。沖縄にも知らない人が少なくない。残念に思う。
太平洋戦争当時、警察の統制はとにかく厳しかった。反戦思想やスパイ容疑の取り締まりで住民から恐れられていた。警察部長だった荒井さんの評価が戦後、高まらなかった要因の一つではないかと考えている。
沖縄では今、集落の歴史や民俗をつづる「字誌(あざし)」の編さんが進んでいる。市町村史に載らない細かい事実が記され、中には荒井さんに関する記述もある。
こうした記録を集めていけば、功績があらためて注目されるかもしれない。
栃木でも顕彰が始まったのは、沖縄県民として非常にありがたい話だ。今後、荒井さんを知る人がもっと増えていってほしい。
島田知事の出身地の兵庫と沖縄は、良い関係を結んでいる。戦後70年を機に、沖縄と栃木の交流も活発になることを期待している。
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■確固とした公僕精神 -ノンフィクション作家 田村洋三さん

島田知事の功績は広く知られているが、先に沖縄に来て活躍の下地をつくっていたのが荒井さんだ。荒井さんの働きがなければ、島田知事も現在ほどの評価を得ていなかったと思う。
疎開を進める上で荒井さんが果たした役割は特に大きい。なので著書では「疎開の恩人」と紹介した。
口数が少なく、周りにはぶっきらぼうに見えたようだ。それでも、やるべきことはしっかりとやる。一本芯が通り、己を貫き、真心を尽くす人だった。
戦後70年。島田知事と荒井さんが再評価されているのは、今の政治家や官僚に足りないものを持っていたからではないか。確固とした公僕精神で、県民のために最期まで働き続けた。
彼らの素晴らしい精神は、現在においても、あらゆる問題に向き合う際に最大の指針となるはずだ。米軍普天間飛行場の辺野古移設問題も例外ではない。
島田知事の故郷の兵庫は、これまで沖縄と活発に交流してきた。栃木が置き去りになっているという思いがあったので、交流の動きが出始めたのはうれしい。
戦中の偉人を皆で語り継いでいかなければいけない。戦争を知らない世代にこそ伝えていく必要がある。