1945(昭和20)年8月6日、アメリカ軍は人類史上初めて原子爆弾を広島に投下した。9日には長崎にも落とした。広島では同年12月までに約14万人、長崎では約7万4千人が亡くなったと推計されている。
下野新聞社は同年7月12日の宇都宮大空襲で社屋などを被災。そのため毎日新聞社に委託し、新聞を発行した。自力で印刷を再開するまで約3カ月を要した。
題字の下に「下野新聞」と記された、8月14日付の毎日新聞朝刊栃木1版は「最悪事態真に認識」の見出しで、米国の新型爆弾やソ連の一方的な対日宣戦布告で戦局は最悪の事態となり、有史以来未曽有の国難となっていると報じた。新型爆弾の使用は「毒ガスにも勝る非人道的なもの」などとした。
16日付では「史上空前の残虐“原子爆弾”」と被災者らの証言を基に広島の惨状を報じ、調査団の報告や物理学博士による解説なども掲載した。
22日付では「暴虐原子爆弾・長崎の惨状」と題し、破壊し尽くされた長崎市街などの写真3枚を使って、爆心地から4里(約16キロ)離れた家でも被害が出たことなどを伝えた。