
1931(昭和6)年9月18日夜、中国に駐屯していた日本の関東軍が、中国東北部の奉天郊外で南満州鉄道(満鉄)の線路を爆破した「柳条湖事件」が勃発した。この事件が満州全土を占領する満州事変の発端となった。
本紙は9月20日付夕刊で「支那軍滿鐵線を破壊し 我が守備隊と交戰」の見出しとともに柳条湖事件を大々的に報道。「我が軍部の発表によれば」として事件の発端を「支那正規兵四百名が突如滿鐵の鐵橋破壊を企てた」と記し「我が砲兵は之を撃退するため戦闘を開始するに至った」と報じた。
本紙の報道からも、当初から関東軍が満鉄線の爆破を中国軍の仕業と主張していた様子がうかがえる。
当時の若槻礼次郎(わかつきれいじろう)首相はこれを「事変」と見なして不拡大方針を掲げたが、関東軍は無視した。さらに侵攻を進め、翌年にはかいらい国家「満州国」を成立させた。
この年、本県では8月に長年の誘致活動が実って東武宇都宮線の新栃木-東武宇都宮間が開通した。国鉄宇都宮駅とともに東京への玄関口となり、その後の本県の発展へとつながった。