1937(昭和12)年7月9日付下野新聞
1937(昭和12)年7月9日付下野新聞

 1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件が、以降8年間にわたる日本と中国の全面戦争のきっかけとなった。

 「演習中の我部隊に 支那側突如不法発砲」。本紙は9日付で、中国・北京郊外の盧溝橋付近で夜間演習中の日本軍に実弾が打ち込まれたことや、日中両軍が武力衝突したことなどを報じている。

 日中戦争の開始を機に、第1次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は国民を戦争体制に全面協力させるため、国民精神総動員運動を展開した。スローガンは「挙国一致・尽忠報国・堅忍持久」。政府や軍の政策に対する言論・思想の統制を強化し、国民の私生活も統制した。

 各都道府県には、運動を推進する実行委員会が置かれた。本県にも例外なく設けられ、37年9月29日付の本紙は「委員嘱託決す」などと県知事を会長とした実行委の設置を伝えている。

 戦時色は濃く、この年には防空演習も行われた。夜間空襲の目標になりやすい電灯や明かりの使用を規制する「灯火管制」が行われ、宇都宮市内は黒一色に塗りつぶされたなどと、7月11日付の本紙はその様子をつづっている。