1928(昭和3)年8月4日付下野新聞
1928(昭和3)年8月4日付下野新聞

 1928(昭和3)年8月2日、オランダのアムステルダム五輪。陸上の三段跳びに出場した早稲田大の織田幹雄(おだみきお)が優勝し、日本人初の金メダルを獲得した。6日後の8日には、競泳の鶴田義行(つるたよしゆき)も200メートル平泳ぎで金メダルに輝いた。

 アジア人初の快挙でもある織田の活躍に、当時の本紙は「堂々第一等となり日章旗は大會塲の中央高くメーンマストに飜った」と報じている。また他の日本人選手らの結果も掲載している。

 次の第10回ロサンゼルス大会で、日本は7個の金メダルを獲得した。次第に世界は戦時色が濃くなり、36(昭和11)年のベルリン大会はナチス政権下での開催となった。

 40(昭和15)年はアジア初の東京大会を予定するも、その3年前の盧溝橋事件を火種とする日中戦争の勃発で、大会を返上。さらには第2次世界大戦の開戦で、44(昭和19)年のロンドン大会も含めて2大会連続の中止となった。

 平和の祭典と呼ばれる五輪の歴史の中で、大会中止は第1次と第2次の世界大戦下のみだ。