
陸上女子やり投げで4度も日本記録を更新し、ロンドン、リオデジャネイロ両五輪に出場した海老原有希(えびはらゆき)さん(34)。父治男(はるお)さん(67)と母房子(ふさこ)さん(62)に子育てを振り返ってもらった。

治男さん 有希が生まれたのはスキーブームの時代で、休日になると私たちも毎週のようにスキーに通うほど大好きでした。本人は10月生まれですが、雪にちなんだ名前にしようとあれこれ考え、わが子の将来に希望があるようにと名付けました。
房子さん 二つ上に兄がいたこともあって、幼い頃から活発で負けず嫌い。「お兄ちゃんができるなら私もできる」と思って、お兄ちゃんの後にくっついて上手にできないと悔しがって泣いていましたね。
幼稚園や近所でも遊んでいるのはいつも男の子で、先生からは「有希ちゃんは元気に動き回っているので、女の子は付いていけない」と話していました。男の子たちとマウンテンバイクやボール投げで遊んでいる一方で、女の子が好きなお人形遊びは苦手だったみたいです。
音感を鍛えようとピアノを習っていた時期もありましたが、1年ほどでやめてしまいました。
治男さん とにかく体を動かすのが大好きだったこともあって、幼少期から恵まれた体力・運動神経の持ち主でした。幼稚園ではクラス対抗リレーで先頭とアンカーを任され、全員抜いてトップでゴールしていましたし、小学校の持久走大会では6年間ずっと学年1位でした。
小学4年生になると兄と学童野球チームに入って、走塁練習やランニングを喜んでやっていましたね。私も野球をやっていたので、トスバッティングの練習に付き添っていました。有希は負けず嫌いで何かを始めると「上手になりたい」という気持ちが強いので、人一倍努力していましたね。

房子さん 野球は大好きでしたが、当時は女子中学生は公式戦に出られなかったので陸上部に入りました。しばらくすると、顧問の先生は将来のことを考えて「いろんな競技をやってみたら?」とアドバイスをしてくれました。そこで全身を使いバランス感覚も養えるバスケットボールを始めることになり、陸上の大会があると陸上部で練習するという形になりました。
バスケの最後の大会で膝をけがしてしまいましたが、本人も楽しそうにプレーしていましたし、バスケの応援は私たちも楽しかったです。高校まで野球、陸上、バスケとさまざまなスポーツを経験したことで、フィジカルが鍛えられ高校以降の活躍につながったのだと思います。
