「友だちが多く、小学生の時はよく野球で遊んでいました」と話す福田三雄さん(右)、治子さん

治子さん 雄一が小学生になると、私は仕事に復帰しました。そのため夏休みや冬休みなどの長い休みの間は、いつも雄一と姉は夫の鹿沼の実家に行き、広々とした自然の中で川遊びをしたりして過ごしていました。

運動会で治子さんと写真に納まる小学6年生の福田監督

三雄さん 鹿沼で伸び伸びと過ごした体験は、雄一のその後の人生に相当な影響を与えたのではないかと思います。

 習い事や塾通いはしたことがありません。でも小中学校時代の成績はよかったです。家では勉強しないで「授業でしっかりやっているから、やらなくても大丈夫」と言っていました。小言を言うと「集中力って20分しか続かないの知ってる?」と言われました。

治子さん 中学生の時、夜食を作って部屋へ行くと、寝ているんです。あまりにも心配になって先生に話すと、先生が「夜中に起こしに来ます」と言って来てくれました。ところが、先生は布団、雄一はこたつに寝ていたんです。先生は翌朝、うちで朝食を食べ、そのまま学校へ行きました。そんな笑い話もありました。

三雄さん スポーツは部活でやってました。小学4年でサッカー部に入り、小学5、6年の時は学童野球も。野球はあまりうまくなかった。

 中学でもサッカー部に入りましたが、中学2年の時に私が「サッカーで飯は食えないから、ゴルフをやれ」と言い、私の手ほどきでゴルフを始めました。飛距離が出てスコアもよく、いつの間にか私より上手になっていました。プロゴルファーを目指していた時もあったようです。

 私が新聞記者なので、記者にさせたかったのですが、本人はなりたがらなかった。ずぼらなところがあるので、サラリーマンは向かないと思っていました。

 私は仕事が楽しかったので、雄一にも楽しくできる仕事に就いてほしいと考えていました。大学を卒業する頃、雄一に「楽しく食べていける仕事を見つけるために、30歳までは職に就かなくていい」と言いました。妻は雄一が30歳になるまで仕送りしていましたね。今、雄一は仕事が好きだからこそ、早朝ロケや不規則な生活に耐えられるのだと思います。

治子さん 最近はおいしいものばかり食べて、不規則な生活を送っているためか、太ってきて心配です。体が資本の仕事。健康には気を付けてほしいですね。

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■雄一さんの食事

好物=うなぎ、ステーキ

 「子どもの頃、うなぎが大好きでした。体が弱いのもあったので、毎日のように食べさせていました。食べ過ぎたせいか、大人になったら嫌いになってしまいました」(治子さん)

■家族のエピソード

 「仕事が忙しくて、なかなか旅行には連れて行けませんでした。でも夏休みには家族旅行をするのが恒例で、茨城県の大洗に行っていました。その時の海の思い出が、映画初監督作品『大洗に星はふるなり』のモチーフになったと聞きました」(三雄さん)

 (第2、3土曜日掲載)