楽天ゴールデンイーグルスコーチ岡田幸文(おかだよしふみ)さんの両親(上)はこちら

 元子(もとこ)さん 幸文(よしふみ)は中学生まではピッチャーとして活躍しており、幾つかの高校からお誘いを受けましたがその多くがピッチャーでの入部が条件でした。ただ本人は外野手への転向を考えていたようで、その条件で受け入れてくれた作新学院高に進学しました。

学童野球の試合にピッチャーとして出場する11歳の幸文さん


 最初は学校の寮に入っていましたが、他の部活の生徒もいたため練習後に食事が残っていないことがあり、お弁当を届けたことも。2年生になると自宅から通うようになりましたが、午前6時すぎの電車に乗らないと朝練に間に合いません。そのため朝5時前に起きて、おにぎりとお弁当を準備していました。

幸文さんが載った学童野球特集を前に思い出を語る幸久さん(右)と元子さん


 幸久(ゆきひさ)さん 当時の作新には、2016年夏の甲子園優勝に導いた小針崇宏(こばりたかひろ)監督が1学年上にいました。小針さんとは小学生時代から親交があり、幸文にとってもお手本のような存在でした。ある時は1番幸文、2番小針さんという打順で、幸文が出塁すると小針さんが送りバントをさせられることが多かったですね。残念ながら当時は甲子園には届きませんでしたが、良い先輩、仲間に恵まれた3年間でした。

 元子さん 順風満帆な野球人生を送っていた幸文にとって、一番の挫折はやはり大学進学時の肘のけがだと思います。入寮して間もなく肘を痛めて、手術や治療について大学側とすれ違いが生じてしまいました。大学を退学することになって「野球が続けられない」と自信をなくしてしまい、一時期部屋に引きこもるようになってしまいました。
 そんな時に社会人野球の全足利クラブからお誘いがありました。練習を見てすぐに全足利入りを決め、就職先まで紹介していただきました。仕事と野球の両立は大変だったと思いますが、全足利に入れたことがプロにつながる第一歩だったように感じます。


 幸久さん 育成枠で千葉ロッテマリーンズに入団しましたが、瞬く間に支配下登録となり10年間プレーすることができました。今年から東北楽天ゴールデンイーグルスのコーチになると聞いてびっくりしましたが、幸文が必要とされているのはうれしいですね。
 私たちは常々「感謝の気持ちを忘れるな」と幸文に伝えてきました。回り道はしたけれど、多くの方に支えていただき、長らくプロとして活躍できました。そして、本人もことあるごとに「感謝」という言葉を口にしているので、私たちの思いを受け止めてくれているのかなと思っています。